2004-01-01から1年間の記事一覧

再会(その1)

朝8時に目覚ましを掛けたのに、起きれなかった。スレプツォーフスク行きは明日にするか。24日でレギストラーツィヤが切れるのに、まだ私はこんなところにいる。 大事なことから先に書いておこう。午後4時半頃、ナズラニのアフトヴァグザールの前で、スルホー…

再会(その2)

午後1時頃、私はホテルの主人ルスランに相談しに行った。チェチェン行きについてだ。主人は「何の問題もない」といった。彼はとても気さくに、「困ったことがあったら、いつでも相談してくれ」といってくれた。 バザール前から市内バスに乗ってアフトヴァグ…

再会(その3)

それにしても、スルホーが私を見つけたのは偶然だったのだろうか?数日前、ロゴヴァス難民キャンプのデカン・モフサロフが自分の名前を私にメモして渡そうとして、「モフ…」と口に出したところで、「モフサロフだね」と私が添えたら、彼は驚いた顔をして、「…

オクラマート・ラーゲリ(その1)

正午頃、ホテルを出て、鉄道駅(?)らしき方角へ。サイバーカフェを探しに行く。果たして、駅までの道に、3ヶ所ほどインターネットと書かれた店を発見するが、すべて閉鎖していた。コンピューターゲームは生きていて、子どもたちが遊んでいたが、インターネ…

オクラマート・ラーゲリ(その2)

ティムール、モフサルと昨日行ったカフェへ行って、クールィ・グリーリの夕食。なにかの役に立ったわけではないが、当然おごってやる。食後、外に出ると雨が降っていた。明日は晴れるといいなあ。耐雨装備を持っていない私にとって、雨に降られると取材は台…

作文の問題

IBMのThinkPadシリーズにはMicrosoft WordもExelも入っていないが、代わりにワードパッドというソフトがデフォルトで入っていて、これで文書を作成できる。 ところが、ロシア秘密警察FSBに物理フォーマットされた私のThinkPad X30にIBMでWindousXPを再インス…

1月・講演とイベントのお知らせ

2005年1月12日(水)に東京大学先端科学技術研究センターのジャーナリスト養成コースで「宗教とジャーナリズム」をテーマに講義する件についてはお知らせ済みですが、その他の中旬、下旬の予定が決まりましたので、お知らせいたします。2005年1月21日(金)…

停滞

ホテル・ウユト二泊目。お湯は出るし、モテルと違ってプリスティトュートカはいないし、250ルーブリと割安だし、断然気に入った。明日は街は動き出すだろうか。 昨日閉まっていたカフェが今日一軒だけ開いていた。特大羊肉のジジ・ガルナシに舌鼓を打つ。しか…

祝日(その1)

4人もムラートも、今日はグロズヌィに行く。私は近くのホテル・ウユトに案内してもらった。ウユトはアフトセルヴィス二階のモテルよりずっと豪華だが、一泊あたり100ルーブリ安い。モテルはかみさんが50ルーブリ借りに来たから結局、ウユトよりも150ルーブリ…

祝日(その2)

ベスランの事件は、チェチェンの抵抗運動にほとんど取り返しのつかない打撃を与えた。チェチェン独立派がこれに関わったとバサエフが発表したことは、それにマスハドフ政府が関わっていなかったとしても、チェチェン独立派全体の性格について、世界中に深い…

ロゴヴァス・キャンプ

ドアを叩かれて、起こされると、11時前だった。宿のおかみは「チェックアウトは10時だよ。もう、1時間過ぎてるよ」と急かす。昨日の50ルーブリを返すつもりはもちろんない。荷物を纏めて、宿をあとにした。 バザールは完全な無人で、なるほど今日はイードな…

プリ・プラズニク(その1)

朝7時半に、安宿パリョートのおかみさんはドアを叩いてくれた。釣銭50ルーブリ分のサービスだと思おう。8時に、タクシーに150ルーブル支払って、共和国国境の検問所へ。タクシストは無線で「サラーム・アレイコム」と同僚と挨拶している。彼はタジク人で、私…

プリ・プラズニク(その2)

イングーシ側の国境からナズラニまでは300ルーブリ払った。少し高いことは分かっている。しかし、その分、宿探しに付き合ってもらおう。ホテル・アッサはナズラニ一の高級ホテルで、一泊550ルーブリから600ルーブリ。高級ホテルとしては安いが、私には高い。…

プリ・プラズニク(その3)

日没とともに、街中に銃声が響き渡った。単発銃もあれば、カラシニコフをフルオートで連射するものもある。爆竹もあって、なにがなんの音やら分からない。これは祝砲だ。ラマザン月が終わった。ウラザー・バイラムだ。 華やかだが汚れた衣装を着た物乞いが、…

プリ・プラズニク(その4)

ロシアにとっても、今一方的にチェチェンに去られることは、連邦の崩壊に繋がりかねない。ロシアは強固で難攻不落の強権国家に見えるが、ロシア指導部自身はそんな自信を持ってはいない。強大なソ連邦が一夜にして消滅したように、同じ構造を持つ連邦国家ロ…

死せる子(その1)

午後4時、徒歩で教職員委員会へ。代表のエレナ・カスモワさんは若くてギャルギャルだった。「人質たちはみんな見ています。彼らはナマーズ(礼拝)なんかしなかったし、粗暴な言動を繰り返していた。人質の見ている前で麻薬をやっていた」 72歳の婦人が訪れ…

死せる子(その2)

店の女主人と話をした。彼女らも、イングーシにはテロリストがいるといっている。チェチェン独立派なら、独立闘争をしているのだろうが、国民投票でロシア残留を選んだイングーシ人が、武器を取ってまで何を求めているのか?女主人はいった。「オセチアから…

ベスランへ(その1)

ワシーリーのクワルチーラを出て、メトロとマルシルートカでドモジェドヴォ空港へ。搭乗までも、2時間ほどの機内でも、ウラジカフカス空港への着陸後も、まったく問題なし。空港でタクシストのダトーと交渉して、900ルーブリで墓地と学校とベスランの安宿を…

ベスランへ(その2)

「調べの結果、被疑者日本人は北カフカス合同軍参謀本部広報官シュヴァルキン大佐から国際テロ組織の一員として手配された外国人傭兵と判明。即身柄を拘束してモズドクの本部へ押送」などと、嫌な想像をしているうちに眠ってしまった。今朝早かったので。 再…

無反省文(その1)

お陰さまで、12月7日に無事に帰国いたしました。11月19日から16日間にわたって、北カフカスのイングーシ共和国で連邦保安局(FSB=旧KGB、ロシア秘密警察)の主導するロシア当局に拘束され、違法取材などの罪で裁判にかけられた上、1000ルーブリ(≒3500円)…

無反省文(その2)

もうひとつ、自由を切望し、自由のために戦い続けているロシアの友人たちに対して、私はお詫びしなければならないことがあります。これは後述いたします。 北カフカス入域直前、私はウェブ上の日記“The Chicken Reports”(http://www2.diary.ne.jp/user/6138…

無反省文(その3)

予想通りだったのは、私は彼らの活動によって損害を出し、一方同じ活動によって彼らから多くを得た、ということです。私の方では、「相手方はもっと多くを失うことになる」と書きましたが、彼らは自分たちが私の活動から受けた不利益を自覚できていないので…

無反省文(その4)

一方、私が利益を得、彼らが不利益を受けたことは、日本で初めてロシア連邦保安局に直接接触し、その活動内容について具体的な情報を得たことです。さらに彼らは私の拘束に際して拘束事実の通報や法的根拠を説明する義務を怠り、日ロ間の領事条約に違反した…

裁判に関する説明(その1)

この国(ロシア)でフリージャーナリストはジャーナリスト・ビザを取ることができない。しかし、取材する方法はある。フリージャーナリストはこの国で、ジャーナリストのひとつと認められない、という事実を利用するのだ。ロシアにはフリージャーナリストと…

裁判に関する説明(その2)

バビツキーが引き渡された相手はチェチェン独立派ではなく、独立派になりすましたFSBコントロール下のチェチェン人武装グループだった。このゴロツキたちは虜囚に、偽のアゼルバイジャンのパスポートを与え、選択の余地なく持たせていたのだった。そして、バ…

裁判に関する説明(その3)

結果的には、私はロシアの司法をそれまでに比べ見直した。この政治的な事件で裁判官は私を無罪にはできなかったが、捜査官が予想していたのに比べ、はるかに軽い、考えられるもっとも寛大な、ある意味非常識な判決を言い渡した。できる限りの抵抗を示したの…

コンピュータ破壊

解放直前に、ロシア当局からコンピュータを破壊され、ネット環境の復旧に手間取っているところですが、なぜか自宅のデスクトップコンピュータまで、起動しなくなりました。お世話になったみなさまへの連絡や挨拶さえできず、閉口しています。

No Home

Narita ni tsuki mashita.Shikashi, Key ga nai node, ie ni haire masen.Subhana llah!Shamil

Departure

Today or tommorrow, I will leave from Russia.I don't know where should I go.Go home or go to Turkey.Thank you!Shamil

Alive

Al hamduli llah!I am alive.Thank you!Shamil