死せる子(その2)

 店の女主人と話をした。彼女らも、イングーシにはテロリストがいるといっている。チェチェン独立派なら、独立闘争をしているのだろうが、国民投票でロシア残留を選んだイングーシ人が、武器を取ってまで何を求めているのか?女主人はいった。「オセチアから土地を奪い返したいんじゃないの?でも、知らないわ。私たちがそこへいったら、キンジャルで首を切られてしまう。日本人のあなたが聞いてきて頂戴。何をしたいのかと」
 以前、ウクライナでグロズヌィ出身ユダヤ人のジェーニャが話してくれた。彼は寺澤潤世上人の元でチェチェン難民支援に携わっている。
チェチェン人ってのは、面白いやつらだよ。彼らの中にはとんでもなく悪い連中がいて、考えられないほどいい連中がいる。どっちかなんだ。中ぐらいというのがいない」
 この感想には私は大賛成だった。チェチェン人と付き合うと、きっとあとでとんでもなく後悔する羽目になるか、ただただ神に感謝することになる。どっちでもなく、忘れてしまうような人がいない。
 今、カフェの女主人はいう。
「私の夫の友人にイングーシ人がいるのよ。彼はこっちに住んでいて、チェチェンで取れる石油を売る仕事をしているんだけど、決して一人ではあっちへ行かないのよ。彼もそうだけど、イングーシ人はすごくいい人よ。いい人もいるけど、とんでもなく悪い人たちもいるんだって」
 私やジェーニャの感想が民族間摩擦の色彩を帯びると、彼女のような述懐になるのだろうか。
 明日イングーシへ行ったら、日中カフェに入れるだろうか?そこに雰囲気がバロメータとして現れるだろう。難民キャンプでバイラムを過ごせるといい。
 2000年の5月に、スレプツォーフスクでドゥダ(仮名)にバーニャに連れて行ってもらったことを思い出す。ナズラニかマガスにはバーニャぐらいあるだろうか?
 イングーシで武装グループに接触できるとして、問題はそれがどういう性格の人たちかだ。ベスランの学校を襲ったのは、どうやら本当に麻薬中毒者の集団のような連中だったようだ。パンキシ渓谷にも、信仰心の塊のような人たちもいたが、ただの麻薬中毒者もいて、彼らは私にとっても非常に危険だった。
 安宿パリョートのおかみさんは釣銭の50ルーブリを持ってくるといったきり返さない。カフカスだから仕方がない。