2005-03-01から1ヶ月間の記事一覧
日本のVodafoneは確か、Vodafone同士、Tu-Ka携帯電話とPHSにSMSが送れる。そこで、こちらで買ったTURKCELLの携帯から日本のTu-KaやPHSにSMSを送ってみたが、いずれもダメだった。アンマンの原文次郎さんの携帯にSMSを送ったり、トビリシの渡辺勇次郎さんに送…
言葉を奪うということは、銃も大砲も必要としないが、事によってはそれにも勝る惨たらしい迫害であろう。人間の記憶はほとんどを言葉に頼っている。言葉を奪われると、私たちは思い出をも同時に奪われることになる。例えば私が日本語を失って、英語だけを与…
キルギス共和国の革命に気が気でない。すぐに求んでゆきたいタイミングで、なぜか自分がイスタンブルなんかにいるのだろう?今やってる仕事を放り出して飛んでゆくわけにも行かず、こちらの用事が一段落するまで、終わらずにいてくれないかな、などと勝手な…
ちょっと離れたところにあるランドリーショップで汚れ物を洗ってもらったところ、お気に入りのシャツと靴下が一つずつなくなっていた。やはり不精せず、自分で洗えということか。でも、反省しない私は今日、今夜・ペンションのランドリーサービスに洗いもの…
カフカスヤ・フォルムのリーダー格アルペールは、アナキストを名乗っていて、カフカスヤ・フォルムの最終目的を北カフカスの大同団結とファッショ・ロシア支配からの解放だとする。つまり、彼らは本物の革命家だということだ。 彼の語るアブハズ民族の歴史や…
突然、ここから、欧州某都市に出張する可能性が出てきた。いったことのない都市で、右も左も分からない。ユースホステルはあるのかなあ?アエロフロートは去年だったか、追加料金を支払えば予約の日程だけでなく、帰国便の出発地も変更できるようになったは…
金曜日なので、路面電車の停留所の前にあるモスクで礼拝した。 ギャルギャル写真家・周香織さんが、日本から私に耳掻きを持ってきてくれた。さっそく耳を掻く。至福。周さんをチェチェンの老戦士に紹介する。老戦士は私たちを自宅に招待して、マントゥをご馳…
海外取材中に忙しいことなんて、滅多にないことなのだが、猛烈に忙しくて、3日間もネットにアクセスできなかった。そして、これから、もっと忙しくなるかもしれない。今回は今までで一番ヒマな取材になるはずだったのに。そのくせ、今回は今までで一番、儲け…
義足の老戦士と待ち合わせして、朝からチェチェン政府代表部へ。ロシアの圧力を受けて、トルコ政府はイスタンブルのチェチェン政府代表部を閉鎖したと伝えられていたが、実際には場所と名前を変えて存続している。それから老戦士は、私を近所に住んでいる戦…
イスラム教徒はもっぱら、「イスラムは正しい」と思っている。しかし、それはおかしな命題だ。なぜなら、私たちの誰一人として、イスラムの親の姿を知らないからだ。だから、「すべての正しいものが、すなわちイスラムである」という命題でなければならない。…
昨日はチェチェンの老戦士の家で夕飯をご馳走になった。チェチェンの食事なので、相変わらず笑いが出そうなほどまずかったけど、懐かしくて嬉しかった。今日は多分、これから、チェチェン代表部の事務所に行って、いろいろ話を聞いてきます。グルジアに行っ…
ある、アラブの友人は、イラクで初めてシーア派の残酷さを知った、と語ってくれた。彼はスンニー派で、サダム支持者だった。サダム統治下イラクでの粛清を知らない彼は、サダム政権を救おうとイラクに乗り込み、サダムによる大殺戮の犠牲となった人々の群れ…
今日は朝から、なんたることか、水道が止まっていた。シャワーが浴びれない。イスタンブルは人口2千万、メヒコシティに次いで世界第二位の大都市なのに、このあいだ来たときは停電中だった。地下鉄網や市内交通機関もまだまだ発展途上で、市内のごく限定的な…
実はここだけの話だが、シリアにいる間に、反米武力闘争しているムジャヒディンにちゃっかり逢ってきたよ。サウジアラビア人と、それから驚くなかれ、ロシアの少数民族のムスリムがいっぱいいた。というか、彼らがロシア語を話していたから私は話ができたの…
チェチェン戦争というのは、取材していてよかったと思うことがまったくといっていいほどないところなのだが、今日は本当に嬉しかった。イスタンブル近郊のチェチェン難民キャンプに、4年前から生死不明だった友人が生きていたのだ。彼は私とともにアブハジア…
イスタンブルにいるのに、ロンドンに電話をかけてチェチェンの新大統領について話を訊いたりしている。チェチェンの実力者にははっきりいってどうしようもない連中も相当いるが、サイドゥラエフは少なくともまともな人間らしい。チェチェン独立派の主流はイ…
今夜の夜行バスでイスタンブルへ向かう。しかし、本当はトルコではなくて、ロシアへ向かうべきなのだ。なぜなら、本当に哀れなのはチェチェンではない。ロシアだからだ。ロシアとロシア人は、母なるロシアが蘇る最後の希望を、自分たちの手で葬ってしまった…
日本時間の午前4時頃、光文社FLASHの山崎喜宏編集者が国際電話を下さり、チェチェン大統領マスハドフの戦死の一報をいただいた。すぐにロンドンのザカエフに電話して、報道が事実だと確認した。こんなタイミングに、私はダマスクスにいる。どこに連絡を入れ…
アンマンと違って、ここでは自分のパソコンからメールの送受信ができるので、トルコの友人・知人と連絡を取った。こちらにいると、アラビア語を学習する必要性を痛いほど感じる。かといって、自分にはトルコ語も必要だと思うし、ペルシャ語もやり直さなけれ…
今日発売の論座 2005年4月号(朝日新聞社)にロシア秘密警察拘束体験記が掲載されました。「ロシア秘密警察に拘束された十六日間」というタイトルです。(参照→ http://www3.asahi.com/opendoors/zasshi/ronza/)よろしくお願いいたします。手塚治虫の「ブッ…
アンマンで遊びすぎて、日記を書く時間すらなかった。毎日うまいものを食べて、へらへら笑って過ごしていた。昨夜、シリアのダマスクスへ移動してきた。何も変わらない街だが、ほんの少し、警察官や軍人の姿が街に増えている。アンマンのサイバーカフェでは…
ヨルダンのアンマンにいる。イスタンブルでは15時間ほど休んだあと、夜行バスに飛び乗った。一晩ののち、アンタキヤでバスを乗り換え、シリアのアレッポへ。アレッポのバス会社の事務所で7時間ほど休んで、さらに南へ。結局、26日の朝8時に東中野の自宅を出…