革命家たち

 義足の老戦士と待ち合わせして、朝からチェチェン政府代表部へ。ロシアの圧力を受けて、トルコ政府はイスタンブルチェチェン政府代表部を閉鎖したと伝えられていたが、実際には場所と名前を変えて存続している。それから老戦士は、私を近所に住んでいる戦士仲間のところへ連れて行ってくれた。友人の戦士は彼よりもずっと若いが、やはり足を負傷して松葉杖を突いていた。彼とともにアスルの礼拝をする。キャンプで多数の難民を見たが、彼らのように、街中で生活している難民たちも相当いることが分かった。イスタンブルの欧州風の装いの人たちの間で生活していても、チェチェン戦士たちはさっぱり、自分たちの宗教的な生活を変えようとはしていなかった。

 夜、カフカスディアスポラの組織、「カフカスヤ・フォルム」の、週に一度のジェネラル・ミーティングに出席する。タクシムから繋がる、トルコ一のおしゃれな通りに面したビルの三階に、くたびれたカフェがあって、その薄暗い明かりの下に、ジーンズや背広姿のさまざまな階層のカフカス少数民族の若者たちが集まって、いろいろなテーマについて話し合っていた。19世紀のパリの革命家のサロンというのは、こんな感じだったんじゃないだろうか。
 彼らの多くは、彼らの祖父母が話すカフカスの言語を理解はするが、話すことはできない。が、誰もが自分たちの出自に強いアイデンティティを持っている。
 会合が終わると10時半を回っていたが、参加者たちの何人かはバーに繰り出して行った。本国のカフカス人たちは、それまでのソ連の非宗教政策にも拘らず、イスラム回帰を果たしているが、革命家たちは欧州のサロン革命家たちのやり方で、運動を進めている。そして、サロン革命家たちとチェチェンイスラム革命戦士たちが、方法論の隔たりをものともせずに、イスタンブルで手を取り合っている。

 廃墟の部屋に一人で住んでいたつもりだったのに、深夜零時近くに自室に戻ってみると、ガラクタが片付けられていて、残りの二つのベッドが日本人バックパッカーで埋まっていた。聞くと、他の部屋が予約で埋まってしまった為、こちらに移されてしまったのだそうだ。
なぜかこのところ左足の親指が痛んで、歩くときに足を引き摺っていた。靴下を脱いでみると、いつの間にか腫れている。押さえつけてみると、爪と肉の間から膿が滲み出てきた。きっと爪が育ち方を間違えて、肉を破ったのだ。
 耳掻きがないので、ブーツの紐の先で耳を掻いてみたけど、ダメみたい。