2001-07-01から1ヶ月間の記事一覧

再びパンキシへ

VISAの延長。出版社との連絡。チェチェン代表部との話し合い。できることはやったような気がするけど、もっと何とかならなかったか。帰国便の切符を放棄したのは、本当に間違っていなかったか?午後2時のマルシルートカ(乗合タクシー)でパンキシへ戻る。…

ジャマアト

太っちょでおどけもののアプティ、42歳の老兵シャムスディン、戦闘で左目だけ先に天国へ送ったアブドルサラム、小柄だが力持ちのスナイパー・マスウド、同じくスナイパーのラマザン、19歳のイサ、アゼリー人サナン、長身のルズヴァン・・・・15人ほど…

取材許可

サラムは食卓でいった。「ハムザートはおまえの取材を全面的に認めた。どこへゆくも、何をするも、自由だ」「じゃ、私はチェチェンへゆきたい」と、私は答えた。アゼリー人の戦士サナンは、私に戦闘帽をくれた。赤い地に白い糸で「アッラーの他に神はなく、…

シャムスディン

42歳のシャムスディンは8年間、シャミル・バサエフと共に戦った。ダゲスタン蜂起にも参加した。幼い娘が一人いる。今はイングーシェチアのカラブリにいるはずだ。もう2年、顔を見ていない。消息を知りたがっている。私にスレプツォーフスカヤの友人を通…

尋問

昼過ぎに起きて、外務省領事部へVISAの受け取りに行こうとしたら、シラゼおばあさんに呼び止められた。「パンキシへいったなんて、誰にも言ってはいけないよ。昨日、警察だとかいって、電話が掛かってきたんだよ。『そこにジャーナリストはいるか?パンキシ…

パンキシへ

チェチェン代表部からアルダモフ代表とともに車に乗り、パンキシへ。グルジア軍の検問ではノーチェックだった。アルダモフに伴われてシューラ(長老会議)に参加した。ご馳走になる。「食え食え。こんなのは月に一度しかないぞ」確かに、こういうときはチェ…

生きてた

去年ドゥイシで1ヶ月ほど世話になったムスリムがワッハの家にやってきた。友達の消息をいろいろ聞けた。スルホーは今もバクーで療養中だし、サイドハサンは帰ってこない。シャミルは近所に元気で住んでいる。チェチェンへ向かったムハンマドがまだ生きてい…

漬け麺ナイト

またジローさんの家に泊めていただいた。夕べはスパゲティの麺を使った漬け麺をご馳走していただいた。夜遅くまで、ドストエフスキーからギャルのおしりにいたるまでいろんな話題を話し合った。さっき、ジローさんは所用で出掛けてしまい、3〜4日帰らない…

予定変更

グルジアのVISAを延長する。8月中旬まで滞在可能となる。月曜受け取りだ。帰国便の切符は期限切れとなるので放棄せざるを得ない。今回私は、もはやチェチェン人は組織的な抵抗をできなくなっており、第二次チェチェン戦争はロシア軍の軍事的勝利で事実上の…

好意

シラゼおばあさんは孫娘ナティアの2歳の誕生パーティに私を招待してくれた。食べきれないほどのご馳走、とりわけシラゼの作るロールキャベツのうまかったことといったら!巨大なチェリー・ケーキも美味しかった。私は一泊4ドルの素泊まり料金しか払ってい…

パンキシに異変

パンキシ渓谷から一旦トビリシへ戻ってきた。現地でいくつかの異変が起きている。出版社に連絡して相談してみよう。VISAを延長してもう少し滞在したい。しかしその場合、アフリカ写真展に立ち会えなくなってしまう。