予定変更

グルジアのVISAを延長する。8月中旬まで滞在可能となる。
月曜受け取りだ。
帰国便の切符は期限切れとなるので放棄せざるを得ない。
今回私は、もはやチェチェン人は組織的な抵抗をできなくなっており、
第二次チェチェン戦争はロシア軍の軍事的勝利で
事実上の終結に近づいている、という認識をもって現地へ赴いた。
このため取材を一ヶ月以内で終えること、
場合によっては取材対象そのものを変更することを予定していた。
しかし、予想は外れた。

グルジアの大カフカス山中には、
150年前からチェチェン人が住み着いている村々があるが、
第二次チェチェン戦争が始まってから、
山を越えてたくさんのチェチェン難民がここに流れ込んできた。
去年、チェチェン人たちはここで部隊を立て直して、
300メートル級のカフカスを越えて遠征し、ロシアへの反撃を試みた。
が、7月にいくつかのグループが越境に成功しただけで、
あとは山頂付近に展開するロシアの空挺部隊に阻まれ、
作戦に失敗して帰還した男たちを迎える
村の人たちの表情には失望感が広がっていた。
また、村では誘拐事件が多発し、私の現地で唯一英語で話ができる友人だった
国際赤十字委員会の女性スタッフも犠牲になった。
(10日後、無事に解放、犯人未検挙)
現地地方政府は軍隊を動員して村のあるパンキシ渓谷を封鎖、
外国人の立ち入りは困難になり、
チェチェン人の村は国際社会の目から隠されてしまった。
今回、半年振りに村に戻って驚いたのは、
失望しきっていると思っていた村の人たちが非常に元気だったことだ。
村のチェチェン人や外国人義勇兵の軍事組織は
前よりも大規模になり、すでに2つのグループが越境に成功して
ロシア軍と戦っていることまでわかった。
外国人も、グルジア警察や軍隊も入らなくなった村で、
チェチェン人はここを「ミニ・チェチェン」として、
チェチェン政府の閣僚数人を迎え、イスラム法を導入した自治を始めていた。

山には車が通れる道がないので、チェチェン人はもっぱら
馬を移動手段としている。
コーランの言葉の装飾を刺繍した独特の衣装を身に付け、
カラシニコフ自動小銃武装し、弾倉ベストを胸に着けた
チェチェン人「イスラム聖戦士」が騎馬で森を駆け回る様は、
ロビン・フッド」か「指輪物語」の小説の世界に紛れ込んだような
錯覚さえおこさせる。