マスハドフ殉教

日本時間の午前4時頃、光文社FLASHの山崎喜宏編集者が国際電話を下さり、
チェチェン大統領マスハドフの戦死の一報をいただいた。
すぐにロンドンのザカエフに電話して、報道が事実だと確認した。
こんなタイミングに、私はダマスクスにいる。
どこに連絡を入れるべきか、自分がとりあえずどこで何をすべきか、
アタマが真っ白になって、考えがまとまらない。
とりあえず、移動しようと思う。

ダマスクスの中心、殉教者広場に面したジューススタンドは、
92年に初めてここを訪れたときと変わらず、営業していた。
ガイドブックも作られていなかった当時は外国人観光客というものが
とにかく珍しくて、私はどこへ行ってもたいへんな歓迎を受けた。
今では外国人が溢れる分、声を掛けられることも減ってしまった。
ジューススタンドでバナナミルクセーキを注文し、
立ったままでぐびぐびと飲む。
13年前に私はすっかりこの味が気に入って、帰国後わざわざミキサーを
買って、自分でバナナミルクセーキを作って飲んだりしていた。
果たして、味はまったく変わっていなかった。
料金を払おうと財布を出すと、店主が留めた。
今まで隣で飲んでいたアラブ人ビジネスマンが、
私の分まで払って去っていったのだった。
今では外国人なんて珍しくもないのに、旅人に対するシリア人の控えめな
やさしさは、まったく変わっていないみたいだ。

殉教者広場に面して、バザールが広がっている。
13年前から、ダマスクスではここに面した管制塔みたいな傾いた
頭でっかちな建物の二階にある安宿「ザハラート・アル・サバーハ
(花の朝)」を定宿としていた。
ボロボロで汚いけれど、ちゃんと熱いお湯も出るし、
日本円にして180円程度ととにかく安い。
13年前から建物が傾いていたから、とっくに取り壊されてしまったかと
思っていたが、ちゃんとそこにあって、しかも営業していた。
ただし、建物はもっとボロボロになり、いよいよ大きく傾いていた。
今回は一泊4ドルの安いけれどきれいなホテルに泊まっているから、
この13年間でちょっとだけ出世したのだ私は。

ザハラート・アル・サバーハの前にはシシカバブの屋台があって、
羊のモツを焼いている。
この店も健在だった。
串10本50リラ(≒1ドル)と、やはり冗談みたいな値段で、
飛び切りうまいモツ焼きを食べた。