疲れる相手

イスタンブルにいるのに、ロンドンに電話をかけてチェチェンの新大統領
について話を訊いたりしている。
チェチェンの実力者にははっきりいってどうしようもない連中も
相当いるが、サイドゥラエフは少なくともまともな人間らしい。
チェチェン独立派の主流はイスラムに忠実に、マスハドフの路線を
継承するだろう。
名の知られた司令官たちの中から新大統領が選ばれることはないと
予想していたが、その通りになった。
名の知られた司令官たちの中には、信頼できる人物がもはやいないのが
現状だった。
人格者は次々に殉教してゆき、ちんぴらが残っていた。
次の時代を担える人物は、無名の若い人々の中にしかいないと、
ザカエフも話していた。
若い人物が抜擢されるのではないかとも予想していたが、これは外れた。

イスタンブルにもチェチェン難民を支援する組織があって、
昨日はそのリーダーの若者たちと話をしていた。

必要だとわかっていながら、自分がいつまで経ってもアラビア語
トルコ語も覚えようとしないのは、私がアラブやトルコのトュルクに
いい感情を持っていないせいだと思う。
私はアラブ世界ではベルベルの人たちや、ドゥルーズの人たち、
クルドの人たちとばかり付き合ってきた。
トルコではクルドの人たちと主に付き合ってきた。
自分たちの権利を主張する同じ口で、彼らが自分たちの領域内の少数派に
どれほどむごい仕打ちを続けてきたか、さらに現在においてもそれを
まったく顧みようとしない現実を突きつけられているうちに、
さらにさらに、そうしたもろもろでいかにイスラムの道に背き続けているか
を見せ付けられているうちに、どうしても彼らに対する共感が
失われてゆく。
今日はやはり、強烈なケマリスト・トルコ民族主義者と話をして
いささか疲れた。
トルコではこういうことがしばしばあるが、実はもっといやなのは、
そういう極端なリージョナル・ショーヴィニズムになぜか染まってしまった
日本人のアラブファンやトルコファンを相手にするときだったりもする。