再会(その3)

 それにしても、スルホーが私を見つけたのは偶然だったのだろうか?数日前、ロゴヴァス難民キャンプのデカン・モフサロフが自分の名前を私にメモして渡そうとして、「モフ…」と口に出したところで、「モフサロフだね」と私が添えたら、彼は驚いた顔をして、「どうしておれのファミリヤを知ってるんだ?」と、問うた。彼自身がムジャヘッドか、その協力者だったのだろうか?彼はスルホーの仲間だったのだろうか?
 FSBと秘密比べをしても勝てないと私は思った。だから、私はみんなに止められても自分の行動をガラス張りにした。誰にいわれても一人っきりで街を歩いた。自分はチェチェンのムジャヘッドとともにいた、と語った。複数の難民キャンプを訪ね回った。どこかから、私が来ているということがスルホーの仲間の耳に入って、探してくれたのかも知れない。
 いずれにしても、私にとってはこれは神さまの計らい以外のなにものでもない。こんなに嬉しいことはない。スルホーが生きていた。死ぬまで再び逢えないと思っていたが、こうして逢えた。
 それにしても、ナズラニの街をチェチェンイスラム聖戦士たちは、何食わぬ顔をして昼の日中から大手を振って歩いているのだ。モスクワでも、きっとグロズヌィでもそうなんだろう。民族衣装や迷彩の軍服を最新のモードに着替え、顎鬚を剃って髪の毛もお洒落に伸ばしているから、こちらは一瞬、誰だか分からなかった。世界中どこにいてもむさ苦しい髭面で、山から降りて来たような無骨なブーツやジャケットを身に着けているのは私だけなのか。
 ナズラニ空港はナズラニの近くではなく、スレプツォーフスクの近くにある。ウラジカフカスの空港はウラジカフカスの近くではなく、ベスランの近くにある。ベスランみたいな小さな村にも300ルーブリのホテルがあったように、スレプツォーフスクにも250ルーブリだか300ルーブリだかのホテルがあるそうだ。スレプツォーフスクに泊まった方がよかっただろうか?でも、もしそうしていたらスルホーには逢えなかっただろう。
 ナズラニからモスクワへはバスの便はないそうだ。列車はある。しかし、週に二便しかないそうだ。明日、便がいつといつなのかを確認しよう。そして、モスクワへ戻る計画を立てねば。もしも都合が悪ければ、空路で帰るしかない。
 モスクワへ戻る前に、もう一度スルホーに逢えたらいいなあ。話すべきことはいっぱいあるんだ。