オクラマート・ラーゲリ(その1)

 正午頃、ホテルを出て、鉄道駅(?)らしき方角へ。サイバーカフェを探しに行く。果たして、駅までの道に、3ヶ所ほどインターネットと書かれた店を発見するが、すべて閉鎖していた。コンピューターゲームは生きていて、子どもたちが遊んでいたが、インターネットはサーバが閉鎖されてしまい、再開は明日やら来年やら分からないという。チェチェン勢力に利用されるからだという説明だった。サイバーカフェのうち一ヶ所は、店舗自体を売りに出していた。諦めたということだろう。
 帰り道、コンピューターゲームの店で遊んでいた若者が二人、ついて来た。ティムールとモフサル、いずれもイングーシ人だ。カフェに誘ったが、目当ての店は休み。帰り道にチェチェン難民キャンプの取材につき合わせる。
この、オクラマート・ラーゲリにはおよそ200世帯が住んでいる。ロゴバス・ラーゲリよりも数倍大きい。状況はロゴバスよりも悪いようだ。老朽化して、もともと薄い屋根板が傷んで、雨漏りがひどいという。雨の夜は家族みんな濡れる羽目になって眠れないし、特に冬場は辛い。
 デンマーク人道支援団体からの支援があるが、他はほぼ皆無で、例えば8人家族にマットレスが2枚しかない。2枚のマットレスでみんなが寝ている。イングーシ政府には感謝している。ロシア政府は何もしてくれない。
ナズラニの駅周辺や市場には物乞いがいる。こんな田舎町に物乞いがいるということ自体がひどい話だが、物乞いのほとんどはここでは子どもを連れた女性たちだ。一方、モスクワの地下道やメトロの入り口に座っている物乞いたちはほぼ全員が老人たちだ。老いた物乞いはナズラニでは見かけない。チェチェンやイングーシのアダートは、高齢者をよく敬う。だからだろう。
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