再会(その2)

 午後1時頃、私はホテルの主人ルスランに相談しに行った。チェチェン行きについてだ。主人は「何の問題もない」といった。彼はとても気さくに、「困ったことがあったら、いつでも相談してくれ」といってくれた。
 バザール前から市内バスに乗ってアフトヴァグザールへ。料金4ルーブリ。そこから路線バスに乗ってスレプツォーフスクへ。料金は12ルーブリ。スレプツォーフスクのアフトスタンツィヤで降りて、タクシーを拾った。ピェールヴィポスト(第一検問所)まで往復100ルーブリ。タクシストの名はルスランといった。
「戦争をやってる連中は、今やただ金が欲しいのさ。こっちなんか、自分の食うパンのためだけにこうし働いているのによ。そして、相手がムスリムと見ればたかってしゃぶり尽くそうとするんだ」
「ぼくもムスリムだよ。向こうでいやな目に遭うかな」
「やっぱりムスリムだろ。そう分かったからいったんだ。顔を見て、ピンと来たね」
 検問所には、見るからに教養のなさそうな、強欲そうな顔をしたロシア兵がいたが、警備は見たところそれほど厳重そうな感じがしない。車止めや遮断機すら見えない。
 「ここを通るにはどんな書類がいるのか?」と、問うが、「いくら払うんだ」「日本からの贈り物はないのか」としか答えない。ここまでよく腐敗した検問所は初めて見た。逆にいうとつまり、贈り物次第で通すということだ。
 納得して、岐路に着いた。帰りはバスでなく、マルシルートカを使う。料金20ルーブリ。――明日、荷物を纏めてもう一度ここを訪れよう――そして、ナズラニに帰り着き、アフトヴァグザールに降り立った直後に3年振りでスルホーに再開したのだった。
 スルホーに会えたことで、彼にチェチェン行きを止められたことで、私は明日、チェチェンへ行く意志を失ってしまった。スルホーは私に電話をくれるかもしれない。でも、それはスルホーにとって大きなリスクを伴う。くれないかも知れない。でも、分からない。ここにいて、連絡を待った方がずっといいじゃないか。チェチェンに入ってしまったあとで、スルホーが連絡をくれたところで後の祭りだ。彼にメールを書きたいが、イングーシのインターネットはすべて閉鎖されている。モスクワに戻るまでは無理だ。(その3へ)