プリ・プラズニク(その3)

 日没とともに、街中に銃声が響き渡った。単発銃もあれば、カラシニコフをフルオートで連射するものもある。爆竹もあって、なにがなんの音やら分からない。これは祝砲だ。ラマザン月が終わった。ウラザー・バイラムだ。
 華やかだが汚れた衣装を着た物乞いが、バザールの中を徘徊し、それ以外のどの顔も笑顔に輝いている。カフェで一人祝おうと思ったが、一ヶ所目は物置みたいになっていて、今日は営業していなかった。二ヶ所目、ラードゥガ(虹)という屋号のカフェで、マントゥと鶏肉のジジ・ガルナシを食べた。ティムール・オズダミルを思い出した。バイラムをゼムリャーク(故郷の仲間)と一緒に過ごしたいだろうなあ。こんな日、日本では独りぽっちでなにもない。淋しいだろうなあ。
 午後9時過ぎにシャワーを浴び、続いて洗濯をした。きれいになると気分がよくなった。この安宿にはちゃんとバスタブのある浴室があるのに、そちらにはガスが来ていないのでお湯が使えない。廊下の反対側にあるもう一つのトイレで湯船なしでシャワーを使うことになる。それでも、湯が使えるだけ上等だ。
 午後11時前、宿のかみさんが部屋を訪ねて、「朝返すから50ルーブリ貸して!」といってきた。客に金を借りに来るとは、こちらの常識では信じられない。しかも、チェチェン・イングーシの常識に従うと、貸した金は決して返って来ない。それでも、貸した。50ルーブリのことだから。
 Crystal KayのLead me to the endという曲をコンピュータで繰り返し聴いている。もの悲しい曲ばかり好んで聴くのは私がネクラだから。
 たった今、チェチェンが一方的に独立を獲得したところで、これほどまでに分断されてしまったチェチェンの社会は、再び一つにはなれないだろう。チェチェンは長い内戦の時代を迎えてしまう。これまで以上に人が死ぬだろう。かといって、全民族人口の4分の一を殺され、20万人の死体の山を跨いで、チェチェンとロシアが一緒に一つの仕事をすることは、まったく現実的でない(この点をポリトコフスカヤは理解できていない)。(その4へ)