裁判に関する説明(その1)

 この国(ロシア)でフリージャーナリストはジャーナリスト・ビザを取ることができない。しかし、取材する方法はある。フリージャーナリストはこの国で、ジャーナリストのひとつと認められない、という事実を利用するのだ。ロシアにはフリージャーナリストというものが事実上存在せず、ジャーナリストといえばテレビ局か新聞の社員記者を意味する。だから、私はジャーナリストではなく、趣味で写真を撮ったり、文章を書いたりする個人とみなされることができる。
 そういう個人はひょっとしたらその写真や記事をジャーナリズムの会社に販売することもあり得るから、業務ビザを取得することで、合法的にロシアに滞在し、活動できる。
 少なくとも、昨日まではそうだった。ところが、今日から、私に対してだけはそういう過去の慣例が廃止されたのだった。
 ロシアの友人たちに対して、申し訳ないことがある。私が裁判で十分に事実関係を争わなかったことだ。私はバビツキーのケースをよく覚えていた。彼は偽のアゼルバイジャンのパスポートを持っていたとして、裁判にかけられた。世界中が濡れ衣だということを知っていたのにだ。
 このロシア一優秀な記者は2000年にグロズヌィでロシア秘密警察FSBに誘拐された。チェルノコゾヴォにある強制収容所で尋問と拷問を受けたあと、「ゲリラの一員」と認定された。公式にチェチェン独立派との捕虜交換に使われ、独立派に引き渡された。「公式には」そうだ。というのは、事実はまるきりそうではなかったからだ。(その2へ)