裁判に関する説明(その2)

 バビツキーが引き渡された相手はチェチェン独立派ではなく、独立派になりすましたFSBコントロール下のチェチェン武装グループだった。このゴロツキたちは虜囚に、偽のアゼルバイジャンのパスポートを与え、選択の余地なく持たせていたのだった。そして、バビツキーは自力で誘拐団の手を逃れ、ダゲスタン警察に再拘束された。
 このバカバカしい「旅券法違反」の裁判でバビツキーは有罪を宣告され、300ドルの罰金刑を受けた。バビツキーが誘拐され、捕虜交換されたことは世界中に報道されていたし、「アゼルバイジャンの偽パスポートを持っていた罪」などというものがナンセンスだということも世界中が知っていた。にもかかわらず、ロシアの司法は彼を有罪にしたのだ。
 私はロシアの司法を信頼することを、このニュース以来やめてしまった。だから、私が「ロシアの法を尊重する」と、法廷でも法廷外でも繰り返したことはまったくの嘘だった。裁判の前に「あなたには弁護士をつける権利がある」と告げられたにも拘らず、辞退したのもそのせいだった。FSBのスパイが弁護人となって、この上私からいろいろな情報を聞き出そうとしてくるのはまっぴらだった。
 私は自分で自分を弁護するに留めた。起訴状に書かれていることはその通りだったが、それが罪になるという法解釈には疑問があったから、そう述べた。つまり、私は旅行社で招待状を依頼する時点でも、東京のロシア大使館でビザ申請書類を提出する時点でも、自分の身分を偽ったりはしなかったし、「カメラマン・ライターとして撮影のため」と目的を明示して業務ビザを取った。ロシアへの入国は90年以来10回以上になるが、いずれも目的を偽ったことはなく、また入国後に警察官や当局者から職務質問を受けた際にも、業務ビザを提示して取材中のジャーナリストであることを説明している。にも拘らず、当局は一度としてそれを問題としなかった。そう、話せる限りのロシア語で証言したのだ。それでも、自分が無罪となる可能性は万が一にもないと確信していた。捜査官たち他のかかわった人たちも同じ確信を持っていただろう。初めから諦めていたから弁護士を立てて徹底的に争うということをしなかった。(その3へ)