完敗(その1)
W氏からの連絡で,アンドレイ・バビツキー記者がチェチェン潜入に成功し,
バサエフに直接インタヴューしたことを知った。
(参照→
http://groups.msn.com/ChechenWatch/general.msnw?action=get_message&mview=1&ID_Message=1754)
(参照→
http://abcnews.go.com/Nightline/International/story?id=990187&page=1)
(参照→ http://www.chechenpress.org/events/2005/07/29/19.shtml)
打ちのめされた。
動転してしまった。
今のチェチェンの入るルートはそういくつもあるわけではない。
バビツキーは2年前にもチェチェン入りに成功しているが,
そのときも彼はロシア側からではなく,大カフカスを越えたという。
おそらく彼は,私が予定していたのと同じルートを使って,
しかも私のようにへまをやらかさず,まんまと目的を果たしたのだ。
私は今回の自分の取材の失敗が,避けられないことだったのだと
思い込もうとしていた。
それが,おそらくまったく同じ方法を採りながら,
立派に仕事を成功させて見せる他人がいる。
つまり,彼はちゃんと仕事をしたできる男で,私はダメだったということだ。
バビツキーがすごいジャーナリストだということは,
ずっと前からよくよく知っていた。
99年に私がチェチェン入りしたとき,バビツキーもまたいたらしい。
私を含め,他のジャーナリストがすべて,地獄のようになってしまった
グロズヌィから脱出した後,バビツキーだけが世界中でただ一人
そこに残って,電話を使ったラジオでのリポートで,
戦渦の市民のようすを伝え続けた。
バビツキーは安全を確保して,悠々と仕事をしていたわけではないかった。
どんな無鉄砲な若手よりも敢えて危険を冒し,そこから生還し続けたのだ。
2000年の1月,バビツキーはいよいよ戦況の深刻さを悟って,
難民に群れに混じってグロズヌィを脱出しようとした。
そこで,秘密警察FSBに拘束されてしまった。
FSBはバビツキーを泣く子も黙るチェルノコゾボの強制収容所へ連行し,
尋問と拷問を加えた。
その上,世間に向けて,「バビツキーはテロリストの一員と分かったので,
捕虜交換でチェチェン側へ引き渡す」と、発表した。
ご丁寧にも,山中で覆面の男たちにバビツキーが連れ去られる
ビデオ映像までが,旧ソ連全域に放送された。
私はそれをラトビアの首都リガの安宿で見ていたものだ。(その2へ)