独立性(その3)

しかし、実際のところこの事件が政治的な背景のある言論弾圧
性格があるものなのか、偶発的なものなのかは、確かめようもない。
ところが、のちにスペインでアルジャジーラの記者が
「アルカーイダ協力」を疑われて逮捕された事件など、
明白な政治的事件が相次いだにも拘らず、彼らは沈黙していた。
これを見て、私はJVJAに期待することをやめてしまった。

武田さんの「一人ジャーナリズム」の本質とは、ジャーナリズムの
独立性の追及ではないかと思う。
反体制派を標榜するジャーナリストは「国家権力から距離を置くべき」
などというが、それだけでは十分ではない。
警察が主張した「薬事法違反」とはどういうことか?
日本で未認可の薬品をイラクに持ってゆくことが薬事法違反にならない
ことは、少し頭を働かせれば分かるはずだし、ましてや単にそれだけでは
同義的な問題にもならないことが分かるだろう。
薬害エイズ事件のときは、有効なHIV治療薬を日本政府が認可しないことが
被害を広げていることが問題となった。
被害者の多くは、未認可の薬品を治験の名目で使うことで救われたのだ。
一方、ジャミーラさんは薬剤に関してはドシロウトであり、緊急を要する
劣化ウラン弾被害の問題に際して、彼女をサポートしようという
専門家が皆無だった。
ドシロウト同士で、ああでもないこうでもないと、わけも分からぬまま、
もめにもめた挙句に、ヒステリックな刑事告訴騒ぎに発展したのだった。
公安警察にとっては、イラク平和運動関係者同士のこの内輪もめに
大きな政治的利用価値があったのだ。

この時期の何人かのジャーナリストのジャミーラ逮捕に関するコメントを
読み返してみて、こういう問題について考える行為を放棄していることに、
ほとんど戦慄した。

警察が「法律違反」といった瞬間に、彼らは思考停止に陥ったのだろう。
反体制のための反体制などいうものには意味がない。
反米でも反自民でも反体制でもない私に分かることが、
どうして彼らにわからないのか?
簡単なことで、オウムの信者が「悪いことと知りつつ尊師の命令に従った」
といっているのと同じことだ。
自分で考えることを放棄して、価値判断の独立性を失っていた
ということだ。