独立性(その1)

東大ジャーナリスト養成コースの特任教授・武田徹さんが
履修生用のウェブサイトを立ち上げた。
(参照→ http://journalistcourse.net/
これは、ジャーナリズムを志す履修生にとっての訓練の場所に
なるのだろうが、一般閲覧者にとっても勉強の場、あるいは
ジャーナリズムについて考える機会を得る場になりそうだ。

武田さんは「一人ジャーナリズム」を提唱されていて、
これに私は興味津々だ。
(参照→ http://162.teacup.com/sinopy/bbs
報道の自由」という言葉は日本で一般化しているけど、なぜ、
「報道の独立性」という言葉が使われないのだろう?
たとえばロシアの知識人は政府に対しては「報道の自由の保障」を要求する
けれども、報道機関に対しては「報道の独立性」を要求する。
報道にとって、単に自由であるだけではまったく意味がない。
自由の中で、実際にそれを行使するために、なにものにも従属しない
独立性が不可欠だ。
そして、日本の報道の現状は、「自由だが独立していない」
と言い切ることができると思う。
国家などによる報道規制はないが、「会社規制がある」と
表現した人もいた。
より具体的には、報道機関の「自粛」という奇妙な行動だ。
「自粛」は決まって、いずれかの報道機関が単独で実施するのではなく、
ほとんどの会社が同時に、足並みを揃えて実行する。

では、会社に属さないフリーランスは独立しているのか?
去年10月、ジャミーラ高橋さんが薬事法違反容疑で逮捕されたときに、
おそらく国民のほとんどが、その背景に政治的な匂いを嗅ぎ取ったはずだ。
しかし、大手メディアだけでなく、フリーの書いたものの中にも、
そのもっとも肝心な点に触れたものを見つけることはできなかった。(その2へ)