死刑について

私はアムネスティ・インターナショナルの強い影響を受けていて、
アフガニスタンでの取材にも、チェチェンでの取材でも、
彼らの活動を大いに参考にさせていただいた。
しかし、立場が完全に一致しているわけではない。
例えば、アムネスティ死刑廃止を基本的な運動方針にしており、
辺見庸氏らは強力にこれを支持しているが、私はこの意義は薄いと考えている。
国家が人の命を奪う方法の最たるものは、裁判を経た死刑執行ではないからだ。

現在の国際法は戦争を違法としていない。
戦争が合法であることに手をつけないままで、
国家が死刑を廃止すべきだと運動するのは、順序がおかしい。
例えば、イスラエルという国は死刑を廃止しているし、
ロシアも死刑の執行を事実上停止していることになっている。
が、これらの国家は、裁判手続きを経ない処刑を「合法的に」続けている。

戦争を「合法的に」行っている国家で、死刑を執行しないようにしても、
戦争行為という名の裁判に依らない処刑で、これに替えるだけだ。
国家にとっては、大罪を犯した人だけでなく、
政治的な理由でも処刑が行いやすくなり、人権はより守られにくくなる。

死刑廃止」という政策が意味をなすのは、
戦争を犯さないためのシステムを確立し、その実績を示したあとでのことだ。

例えば、米国政府は、911事件をどう処理すべきだったかといえば、
十分な証拠を集めて、彼らが主張するビン・ラディン氏の有罪を立証し、
死刑判決を下せばよかったのだ。

それをせずに、戦争行為によって彼を殺害しようというのは、おかしい。
おかしいというか、実際できなかった。
死刑判決を出して、国際指名手配して、そして捕まらなくても、
それは判決が未執行であるに過ぎないが、
戦争を仕掛けて目的を果たせなかった米国は事実上、
その戦争に勝ったことにもならない。
だから、「テロ」は懲りもなく続いている。

実際には、ビン・ラディン氏に合法的に死刑判決を出せる証拠も
彼らにはなかったからこそ、国際法上合法か違法かはどうだか知らないが、
人道上は明らかに無法な軍事行動に走ったのだろう。
その結果、無関係な市民を何千人も八つ当たりで殺害したのだ。

そして、無差別殺人の責任者はまた、死刑に処されるべきだ。
小ブッシュ一味もね。
荷担した自称ジャーナリストもね。

違う?

突然、アタマに浮かんだので、書いてみた。