ポリトコフスカヤ暗殺―そして誰もいなくなった

アンナ・ポリトコフスカヤが暗殺されたのを、午前0時過ぎに帰宅して知った。
なぜか、安田ふじゅんぺとDNA高橋さんが大邸宅に転がり込んで来ていて、
つもる話を始めようかというところだったのに、二人を放置プレイにして、
記事検索に熱中してしまって、申し訳なかった。

ロシアで、プーチンの恐怖政治に抵抗しようという人たちは、これでもう、
誰もいなくなってしまったのではないか。
ポリトコフスカヤのように世界的な著名人になってしまうと、プーチン
手が出せまいと思っていたのだが、決してそうではなかった。
むしろ、残って闘う人たちを黙らせるために、プーチンの誕生日のこの日を
選んで、世界でもっとも有名なプーチンの敵対者たる彼女を血祭りに
上げたのだろう。

ロシアやチェチェンに関して、ぼくが出会った人たちは大半が殺され、
残りは二度と会えそうもないところへいってしまった。
出会うチャンスはなかったが、遠くから知っているだけの人たちも、こうして
殺されてゆき、もう、ほぼ、誰もいなくなった。
あと一人だけ、まだ旧ソ連域内に留まって闘争を続けている人に、
日本山妙法寺の「テロさわさん」こと寺澤潤世上人がいるだけだ。
彼もまた、何度となく生命を脅かされてきた。

ぼくはロシアが好きだ。なぜかというと、本当に自分の身を擲って、
闘う人たちがまだ少しだけいるから。
決して自分は傷つかない絶対安全圏から、実効性の有無も分からない
行動をして、それを「平和運動」などと称する人たちがぼくは嫌いだ。
それはむしろ、弾圧者を利する。しかも、そういう人たちは弾圧者にとって
利用しやすく、踊らせやすい。脅せば屈するから。
イラクに関わってつまらないのはそういう人たちばかりが目に付くからだ。

日本だってそうだ。
思想・信条の左右を問わず、日本の現状に不満を述べる人たちはいても、
投獄も厭わずに活動しているのは、中国人の陸さん(L&K社長)一人では
ないか。

ロシアやアフガニスタンには、イラク人や日本人からすると生きるに
不器用な、融通の利かない突っ張った連中がいっぱい住んでいて、
不遇に甘んじている。
ロシアからは今後、そういうぼくの好きなタイプの人たちが姿を消して
ゆくのだろうか。