プロパガンディスト(その2)

「一番安全」とされたパレスチナホテルでは、
戦火の市民の苦境を垣間見ることも実際にはできなかった。
外国人が市民と自由に接触することは、サダム政府が何よりも嫌い、
恐れたことだったからだ。
それができたのは、情報省の監視を受けない「人間の盾」と、
サダム政府の目を盗んで住宅地に潜伏していた私たち
「違法取材」の面々の方だった。

そして結局、もっとも危険な場所にいたのは、
ジャーナリストの誰でもなく、ドーラ浄水場発電所に立て籠もった
「盾」の面々だった。
「盾」と一応書いておくが、メンバーによっては「義勇兵ビザ」で来たのもいて、
つまり、サダム当局に「盾」と思わせてイラクに潜入した人たちだ。
「盾」の中には日本で一番戦場経験の豊富な加藤健二郎東長崎機関総裁がいたから
私は心配はしていなかったが、あとで聞くと彼らの体験は尋常ではなかった。
「盾」が眠っていたベッドの2メートル脇にミサイルが一発着弾したそうだ。
地上戦のさなか、「盾」はイラク民兵と共に最前線をも訪問している。
頭上を銃弾が飛んで行く音を聞きながら、彼らは逃げるよりむしろ、
匍匐前進までして前へ進もうとしたそうだ。
そして戦闘が終わったあと、至る所に放置された市民の死体を引き取るため、
米軍との交渉を担当している。
楽しかっただろうなあ。
羨ましいなあ。

その間、パレスチナホテルの「ジャーナリスト」たちは、
地上戦を恐れ、米軍を恐れ、サダム政府当局を恐れ、イラクの市民までを恐れて、
ホテルから一歩も出られずにいたわけだ。
さあ、「プロ」とか「素人」ってなんでしょうね。