プロパガンディスト(その1)

バグダッドで私は写真家の村田信一さんにいった。

パレスチナホテルは危ないですよ。
 だってバース党幹部も情報省幹部も全員泊まってるんですから。
 ほら、あの建物の側面にトマホークが二本、
 斜めに突き刺さってるのが見えるようじゃありませんか」

いったときは冗談だったが、突き刺さったのがトマホークでなく
戦車砲だったというところ以外、全部的中したのに自分でも驚いた。

某ヒステリー系ライター氏はパレスチナホテルの報道関係者を
「義勇報道陣」などと英雄視するが、パレスチナホテルに泊まっていた
ジャーナリストの多くはサダム政府のプレスツアーに乗っかることだけを
「取材」と称し、主体性もなにもなく、見せてもらえるものだけを
素直に見せてもらっていた自称ジャーナリストで、実態としては
「プロパガンディスト」といった方がよかった。

情報省の取材規制に少しでも抵抗して独自の取材をしようと試みた人たちは
次々と国外退去処分を食らった。
もちろん、中にはアジアプレスの綿井健陽さんみたいに、
「人間の盾」のビザで潜入してきて、大胆にも情報省の目を盗んで
プレスツアーにも乗っかるようなアクロバットを演じる人もいたが少数だった。
プレスカードにかかる税金だの、衛星電話にかかる税金だのといって、
毎日何百ドルもの現金をサダム政府幹部に貢ぎ続けた彼らは、
ほとんどは単なるサダムの協力者に過ぎなかったのだ。

このうち典型的な何人かは、私は過去の取材で現場で見掛けている。
例えば、私が密入国してチェチェンを取材していたとき、
彼らは大統領府の特別許可を取ってロシア軍のプレスツアーで
グロズヌィを見学していた。
私がタリバンの監視をすり抜けて、勝手にアフガニスタン中を取材していたとき、
彼らはタリバンのガイドと運転手を雇わされて、
いかにタリバン支配下では自由な取材ができないかを語っていた。(その2へ)