また、タリバンとイスラム党が衝突

18日に、マイダンシャー、ワルダック間で、タリバンとヒズビ・イスラミ(イスラム党)間の戦闘があり、二人が死亡したという。
http://www.pajhwok.com/en/2011/06/18/infighting-among-militants-maidan-wardak
記事では、戦ったヒズビ・イスラミをヘクマティヤル派だとしているが、マイダンシャーやワルダックにヘクマティヤル派がいるなんて、聞いたこともない。ここはかつてジャミアテ・イスラミが支配し、のちにタリバンが奪った地域だ。
誘拐されて間もない頃、兵士たちはぼくに、自分たちの組織の構成について、自慢混じりに話して聞かせていた。いわく、彼らの組織はローカルなものではなく、全国組織であり、兵士たちは全国各地から一括して募集をかけられ、また各地へ配属される。ぼくの周りにいた兵士たちについても、地元出身の兵士はむしろ少数で、ザルマイはカブールのシャーリナウに自宅があるし、小隊長はカブール空港のすぐそばの出身。一方、マンスールはジャララバードの出だった。カンダハルから来た兵士もいた。
誘拐直前に取材したイマム・サヒーブのタリバンが全員地元民だったのと大きな違いだ。
今回の事件も、このヒズビ・イスラミがヘクマティヤル派だなんてウソだろう。たぶん、本当は政府側ヒズビ・イスラミの党首サバウーンの手のものだ。ぼくのケースでも、誘拐グループ自体はアーメル・ラティフことラティフ・イブラヒームを首魁としていたが、彼自身は十何年も前からサバウーンの部下で、ウズベク人のラティフがパシュトゥン人ばかりの部隊を率いていられるのは、彼の上に人望のあるサバウーンがいるからだ。
18日の戦闘について、タリバンのラヒムラ司令官は、「敵は政府軍と米軍に協力していた」と語っている。これは、ぼくのケースでぼくがみた事実とも一致する。誘拐犯は4月9日頃にはクンドゥズを訪れた大統領カルザイの集会に出席し、至近距離で大統領と会見していた。その上、4月中に繰り返された戦闘では、米軍と共同作戦を張って、タリバンを攻撃していたのだ。
タリバン側が名前を出して記者のインタヴューに答えているのに対して、ヒズビ・イスラミの司令官は匿名で語っている。匿名でなければ困る事情があるのだろう。これもぼくのケースと同じで、タリバンのアサドラ司令官はビデオ・インタヴューに答えたが、ヒズビ・イスラミの司令官たちはだれ一人として、ぼくのインタヴューを受けなかった。タリバンになりすましていたから当然だけど。
ぼくの誘拐の一ヶ月前にも、バグランでタリバンとヒズビ・イスラミの衝突があり、50人も死亡していた。誘拐犯たちはぼくに対して、「あれは我々の部隊だ」と語っていた。あの事件に関して、タリバンのザイーフ師に質問したところ、「私たちはヒズビ・イスラミと戦う意志はないが、彼らは政府に雇われたグループだった」と説明していた。
昨日、カルザイはついに、米国がタリバンと和平交渉していることを公式に認めたけれど、アフガニスタンの諸勢力の中には和平が不都合だというものもいっぱいいる。そして、和平にもっとも強硬に反対し、反タリバンの姿勢を貫いているのがサバウーン大臣なのだ。
サバウーンにはカブールでも東京でも何度も会ったし、彼の話をいっぱい聞いた。教養も常識も、高い理念も備えている人物だと思ったし、尊敬している。しかし、大勢の立派な人物がいくら努力し、血を流しても、30年間、戦争を終わらせることができなかったのがアフガニスタンで、サバウーンはその最重要当事者の一人だ。