事件は終わらず

脱出できたら今回の事件の全容をきっと解明しよう、と心に決めて監禁生活を
送っていたものですが、帰国後、まだ全然調べものの時間すら確保できて
いません。
私を拘束した軍閥の名は、現地のパシュトゥン人たちは「ラティブ Latib」
と発音していたのですが、これは「f」が発音できない彼らの訛りで、
正確には「ラティフ Latif」なのだそうです。ラティフ本人はウズベク人で、
ウズベク訛りでは「ラティヴ Lativ」となるとのこと。ぼくはTwitterでは
獄中から「Lativ」と綴っていました。
彼の背景など、現地で聞いた話と、ネット上その他の情報との摺り合わせを
急ごうと思います。
友人アジマールとは連絡が付きました。彼は4月末までカブール滞在を
延ばしてぼくを探してくれていたのですが、その間、アフガニスタン
秘密警察に頻繁に拘束され、執拗に尋問されていたそうです。
彼の出国後、今度は彼のアフガニスタン国内の家族が同じ目に遭った他、
ヒズビ・イスラミとおぼしき人たちから頻繁に脅迫されるようになったそう
です。大統領府で働いていた兄弟の一人は解雇されたそうです。
それで、ついに住み慣れたジャララバードの家を捨て、別の都市に脱出し、
潜伏生活を送っているとのこと。
ぼくの誘拐事件はまだ終わってはいなかったのです。
チェチェンの取材でぼくがお世話になった人たちはみんな惨たらしく殺されて
いったり、難民となって、欧州のどこかで流浪の生活を送っていますが、
アフガニスタンの取材で世話になり続けているアジマールとその一家だけは
幸せになってもらえると思っていただけに、昨日これを聞いてショック
でした。
今すぐ彼らのためにアフガニスタンへ戻りたい気持ちですが、パスポートすら
ない現在不可能で、日本からなにができるか、調べています。