滅びざるアイヌ

我がアイヌ民俗学の師匠から再度ご指導いただいた。
どうも付け焼き刃の勉強ではなかなか合格点が取れない。

10月5日の日記では、アイヌ語ネイティヴスピーカーは
絶滅したと考えられていると書いたが、これは樺太アイヌ語について、
研究者の知る話者がいなくなってしまったということに過ぎず、
北海道内には高齢ながらまだまだ話者が生存しているということだ。
樺太アイヌ語に関しても、ある権威研究者は絶滅を主張しているものの、
他の多くの研究者はそれに否定的だそうだ。

一昔前まで、国内の民俗学者の中では、アイヌは滅びゆく民族であり、
和人に同化されてゆくのが彼ら自身にとって幸せなのだという考えが
まかり通ってきた。
こうした考えのもと、民俗学者たちは、
消え去ってゆく言語と文化を人類の記録として残そうとするスタンスから
研究に取り組んできたが、
これは現在生きるアイヌの人たちの眼には納得のゆかないものだった。
なぜなら、アイヌの人たちは自分たちの文化や言葉を捨てる気も、
絶滅させられてゆくつもりもないからだ。

確かに、明治以降の日本の同化政策の中で、
アイヌ民族は自分がアイヌであることを隠し、
名乗ることを恥じる風潮に追い込まれる時代があった。
しかし、現在アイヌの人たちは、状況が非常に悪いにも拘わらず、
自らの文化の継承を諦めていない。
言語と文化を次世代に残そうと取り組んでいる人たちがいる以上、
研究者に求められることは、滅びゆくものの記録ではなく、
現実の継承に繋がる研究と教育だ。

また、そういった姿勢が求められるのは、研究者に対してだけではない。
厳しい状況の中で滅亡の危機と奮闘しているのは、
同じ国家を共有する和人にとって、遠い国の他人ではなく、隣人なのだから。
私たちの国が今後未来にわたって、さまざまな隣人たちと
共存できる場所であろうとするなら、
アイヌの継承問題は過去の悲しい出来事として片づけるべき問題ではなく、
和人とアイヌの協力のもと、一緒に取り組んでゆくべきテーマだ。

以上、教わった内容そのままだが、確かにそうだ。
少数派の存在に気付かないということは、共存の最初のチャンスを失うことだ。
どんな多数派も、あらゆる少数派の多様な集合体で、多様性を認め、
少数派を尊重することが即ち、私たち自身の利益に直結する。