アイヌの歴史

9月29日のこの日記で記したアイヌ民族の歴史がちょっといい加減でした。
なんだか、日本人とアイヌの間には近年まで交渉がなかったかのように
誤解されかねない表現でした。

我がアイヌ民俗学のお師匠(ギャル)からいただいたご指導メールをもとに、
再度、説明を試みます。

13世紀以降:東北地方・北海道・樺太にかけて、アイヌ民族と和人との貿易が行われる。
1457年:アイヌの指導者コシャマイン、和人との戦いを起こす。
16世紀半ば:蠣崎氏、アイヌとの戦争を終結させ、松前だけでアイヌと和人の貿易をさせるように取り決める。
17世紀:江戸幕府成立と同時に、松前氏と改姓していた蠣崎氏が松前藩を起こす。
1669年:アイヌ指導者シャクシャイン松前藩に対し戦いを起こすが敗北。以後松前氏の支配強まる。
18世紀:場所請負制始まる。
18世紀半ば:和人の活動、樺太・千島に及ぶ。
1789年:アイヌがクナシリ・メナシで蜂起するが鎮圧。のち、蝦夷地の太平洋側が幕府の直轄地となる。
明治維新以降:本格的な同化政策始まる。

アイヌ語というのは、琉球語程度に日本語に似ているのかと思っていたら、
彼女に教わった限りでは、文法といい、発音といい、単語といい、
似ても似つかない。
アイヌ語ネイティヴスピーカーは、研究者に知られているところでは、
つい最近、最後の一人が亡くなり、絶滅してしまったという。
上の簡単な年表で見る限り、アイヌの近代史とは、和人による搾取と同化政策
その結果としての絶滅へ向かう一直線の歴史だ。

何かに似ていると思ったら、チェチェン人の歴史に似ているなあ。
アイヌチェチェン人に比べても絶望的だ。
チェチェン人はまだ世界に100万人もいて、言語が滅びる見通しもない。

そういえば以前、今のチェチェン戦争は
我が故郷島原の歴史にそっくりだと思ったのだったっけ。
島原・天草のキリシタン戦争は、日本史上もっとも凄惨な全滅戦だった。
蝦夷地に島原、辺境の地で、
私たちもロシアと変わらないことをしてきたのだなあ。