話ができない

「専門家同士だとちゃんと話ができるから」
と、清水勉弁護士は語って、東京地検に電話を掛け始めた。
しばらく経って、驚きの色を浮かべて戻ってきて言った。
「担当検事が対応を拒んでいる。前代未聞ですよ」
警察官は刑事訴訟法に基づいて犯罪捜査、そして逮捕したり送検したりの処分をしなければならないが、彼らは法律家ではない。だから、法律家である弁護士からみると、会話が成り立たないと感じることがあるそうだ。
しかし、検察官は司法試験を突破した法律の専門家なので、法に基づいて、共通の土台で弁護士と話ができる。
…はずだった。
今回の「私戦予備陰謀事件」ということにされている騒動、法の専門家の常識が通じない場面だらけだ、という。
件の北大生たちの行為を「私戦予備陰謀罪」を適用しようとした警視庁公安外事三課の行為がまず、非常識で荒唐無稽で、だからこそ当然の結果として不起訴になったわけだ。
それに加えて、東京地方検察庁がその不起訴の理由を、他ならぬ当事者たる被疑者(容疑者)たるぼくの代理人に説明しないばかりか、どのような容疑が掛けられているかという被疑事実の説明までも拒むというのは、法治主義の国ではありえないことだ。
逮捕されたのに自分がなんの罪を犯したのかを知らされない、カフカの「審判」の主人公みたいではないか。

思えば、2月から続く「旅券返納命令」も、民主主義の国の常識を完全に逸脱した意味不明なできごとだ。
清水弁護士が法律の専門家であるように、ぼくは25年ほど報道の仕事をしてきて、20年ほどは国際報道をやっているので、国際情勢に関してはそれなりにいろんなところで解説させていただいてきた。
取材先では日本の在外公館の外交官の皆さんとお会いする機会もあり、そのたびに感じていたのは、やはり専門家ならではの、「話が通じる」という感覚があった。
それが、今回の「旅券返納命令」では、まるきり話が通じない、という感覚がある。
なんというか、ネトウヨと会話しているようだ。ネトウヨの皆さんは、なんの話題でも基礎的専門的な知識なしに心に浮かぶよしなしごとを思いつくまま語るので、基礎的な事実認識の共有がなく、簡単に言うと、話にならない。
ただし、外務省としては、「まずいことをしでかしてしまった」という自覚は持っているようだ。それは、裁判が始まってからわかった。
旅券返納命令に関してはさすがに愚かな判断をした自覚はあるとしても、対ロシア外交については、果たして致命的な判断をした認識を持てているのだろうか?
親分がネトウヨ並みの知能しか持ち合わせていないとしても、これまで日本の官僚というものは、「御輿は軽くてパーがいい」と、官僚主導でやってきたのではないか。
この数年の間に、外務省でも警察、検察でも、意志決定をする立場の人たちがこぞってネトウヨと化してしまったのではないかと恐ろしい。