原爆発言

懐かしい長崎の伊藤一長市長が、米ロ戦略核削減条約に
「評価に値しない」と声明を出した。(↓)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20020525-00000668-jij-int
削減とは名ばかりで、廃棄されるべき核弾頭は発射台から倉庫に移されるだけ、
いつでも再配備可能な状態で残されるというのだ。
核不拡散条約(NPT)は印・パ両国の新たな核兵器保有に加え、
イスラエルの秘密裏の核保有、米ロの新たな開発競争などで、
包括的核実験禁止条約(CTBT)とともに事実上、意味を失った。
前の長崎市長本島等氏はそれこそ、
原爆を告発することにかけては単に一地方都市の首長にとどまらず、
世界の指導者だった。
彼は市長の職を退いた後も、毎月9日に平和公園で行われている
反原爆の座り込みに参加し続けていた姿が印象に残っている。
テレビカメラも、新聞記者のカメラもないところで、
老人たちと共に背中を丸めて雨の中に座っていた。
政治家として、行政の長としての本島氏を私はさっぱり評価しないが、
思想家として、活動家としての本島氏に対して、
彼が昭和天皇の戦争責任を告発する言論の自由
自分の命を懸けたときは萌えまくった。
それが、911で米国のアフガニスタン侵攻を一言も非難しなかったので、
一気萎えした。
それに対して、伊藤市長の方に対しては、萌えるも萎えるもない。
政治家としての活動はそれなりに知っていたが、
アタマの中で何を考えているのかについては、
これまでさっぱり見えてこなかった。
長崎は人口40万人の過疎化の進む一地方都市に過ぎないが、
こと核と人類の関わりにおいては、広島と並んで間違いなく世界の中心だ。
世界のどこへ行っても、たとえ日本の首都を香港だと
思い込んでいる人たちでさえも、ナガサキの名は知っている。
長崎市民は一人一人が世界に核戦争の生き証人として
その一挙一動を問われてゆく宿命を負う。
その長崎のリーダーはやはり核と向かい合う人類の先頭に立つことが求められる。
伊藤市長の今後の発言は要チェックだぜ。