ナガサキからみる世界

長崎県テレビ長崎(FNN)の橋場紀子記者は、長崎原爆で被爆死したとされていた中国人の強制連行被害者が、実は警察に拘留中に拘置所内で死亡していたという事実をスクープしました。当時の日本当局は原爆死没者として中国に遺骨を送還しており、告発した市民団体は、拷問によって殺害された事実を隠すために、被害者が爆死したように偽装していたと主張しています。
テレビ長崎は私がいた長崎放送JNN)のまさに「不倶戴天」のライバルでした。一方、我が長崎放送の関口達夫記者は、過去40年以上にわたって、米原潜が放射能を帯びた冷却液を排出し続けていた事実を、米公文書館の機密文書から確認し、TBSのニュースでスクープしました。
長崎にいらっしゃる方は、タクシーの中などで流れるラジオなどで「佐世保港に米第○艦隊所属の○○が入港。目的は乗組員の休息と物資の補給。今年米艦船の佐世保入港は○隻目で、去年同時期よりも○隻多い/少ない」などというニュースが流れているのに気付かれるでしょう。東京でぼくたちは、横須賀基地で何が起こっているやら、横田空軍基地で何をやっているやら、まるで知りません。ニュースでやってませんから。東京では「それをニュースにしなければいけない」という認識が全くないのです。
フリーになったばかりの頃、東京の新聞社やテレビ局と仕事をすることになって、すごく戸惑いました。ぼくにとっては、戦争が起こってしまったら、それを取材するのは当たり前のことだし、取材されていない戦場の非人道行為を取材できたら伝えるのが当然なのですが、東京のテレビ局では「よくいるんだよね。戦争の写真とか撮ってきて、使ってくれとかいう、きみみたいなの」とか、「なぜ、今、チェチェン(のニュースをやるべき)なのかが問題ですよね(99年の第二次チェチェン戦争開戦時)」などと反応されて、日本語なのに会話が通じないという問題に直面しました。
長崎、広島、沖縄といった地域の人たちは、東京や大阪とは全く異なった歴史空間をこの60年間生き続けてきたのだと感じています。それは、東京や大阪が「まともな」空間を生きてきたということではなく、ぼくらの方がまともで、彼らはちょっとマズい、おかしな世界に住んでいるんじゃないかと感じています。
ですから、ぼくはフリーになる前の4年半を長崎放送の記者として過ごすことができた運命を神に感謝しています。ありがたくも、まともでいられた。