母なるロシアの母

 明日にも、このパソコンからインターネットに繋げられるかも知れない。インターネットカードを買えば、モデムから電話を掛けて繋げられるというが、去年ウクライナキエフチェチェンの難民の家から繋げたときは、何十回も掛けて、ようやく繋がったかと思うと、とんでもなく通信速度が遅かったり、たちまち切れたりして、ほとんど忍耐力の勝負だった。ここでは環境はましなのか?
 午前8時半頃起きて、10時過ぎに家を出て、ルビャンカのそばの「ロシア兵士の母親委員会」へ。
ワレンチナ・ドミトリエヴナ・メリニコワ代表は非常に聡明な女性で、しかも感じがよかったので、私はすっかりファンになった。ロシア人というのは、どうしようもないダメ人間と、図抜けた秀才とに分かれるように見える。それから、教養も知性もないのに、無意味に高圧的で尊大な人間とに。
 悪いが、ワシーリー(仮名)は最初にケースの典型例だ。彼には芸術的な才能がある。それは認めるが、その才能で社会に出てひとかどのものになるほどのものはない。せいぜい、親の金で生活しつつ、小遣い程度の稼ぎを得て、自己満足に浸る程度のものだ。他にも、いい年をして働かない。酒に酔い、大麻を吸い、タバコを買う金の出所だけを心配して暮らしている若者が、街に溢れている。
 第2のケースは、私が逢った人物ではリトヴィネンコがその代表みたいなものだ。去年、ヌハエフが主催した民族学の国際会議に出て、ロシアの学問のレヴェルというのはこれほどひどいのかと呆れたところだが、今日逢ったメリニコワ女史といい、リトヴィネンコといい、只者でない知性がやはりロシアには溢れている。
 第3のケースは、それこそロシアには溢れかえっている。街を歩けば警察官が寄ってくる。カフェに入ろうとすれば、入り口に警備員が立ちはだかる。どこかの役所を訪ねれば、3分で済みそうな用事がこやつらの邪魔立てで一日掛かる羽目になる。ソ連体制の遺物とでも呼ぶべきもので、まさに粗大ゴミだ。
 イリナ・ハカマダの事務所に電話したところ、彼女は12日まで出張中だという。これは、今回の取材では彼女に逢うことはできないか?
 アウシェフの事務所は、電話が鳴るばかりで誰も取らなかった。今日は出張から帰ってくるものと期待したが、明日まで待つしかないか。