二つのロシア(その1)

 私がモスクワ入りする前日の23日、プーシキン広場で開かれたチェチェン反戦集会に、2000人の市民が集まったという。この集会はチェチェン戦争開戦以来、毎日曜日に欠かさず開かれていて、第一次チェチェン戦争末期の96年には5000人が集結し、当時のエリツィン政権を追い詰めた。それが、第二次チェチェン戦争が始まって間もない2000年1月に私が取材したときにはせいぜい200人、その後、参加者は減り続け、数十人規模になりながらも細々と存続していた。
 プーシキン広場に集まる市民の数を、チェチェン戦争に対するロシア市民の感情のバロメータだと、私は思っている。かつてのロシアを動かした、平和を求める民衆のパワーが、再び力を盛り返そうとしているように見えた。
 90年のソ連末期からたびたびロシアを訪れているが、モスクワは訪れるたびにまるで別の国のように変わってゆく。ソ連末期には貧しさと混乱の中にも希望と生命力だけは溢れる街だったが、90年代の初め、物乞いと富豪とマフィアと娼婦ばかりが溢れる、「寒い南米」みたいな国になった。97年に国家破産したときにその雰囲気はいよいよ色濃くなったが、99年に訪れたときには方向性ががらりと変わった。警察官だらけになったのだ。
 そして以降の数年、モスクワは訪れるたびに豊かになって行く。時期によっては警察官の姿も少なくなり、先進国の仲間入りを果たしたように見えることもあった。が、今回の訪問で、ロシアがこの数年、どんな方向に国の進路を取ってきたのかがはっきりと分かった気がする。(その2へ)