二つのロシア(その2)

 トヴェルスカヤ大通りの歩道の壁に、小さなチラシがいくつも貼ってあった。なにかの広告だろうと思ったら、違った。それはコンピュータを使ってコラージュした合成写真で、画面に数人の迷彩柄の軍服の人物が並んでいた。一番左端にシャミル・バサエフがいて、アンナ・ポリトコフスカヤ、○○、○○など、交渉によるチェチェン戦争の解決を訴えているロシアの政治家や知識人たちだった。つまり、「チェチェンとの平和を求める連中は、テロリストの一員だ」と、非難しているのだ。そういえば私自身、インターファクスの配信記事で、「国際テロ組織の一員」と書き立てられたことがあったなあ。
 ルビャンカ広場の旧KGB本部、故アンドロポフのレリーフ前で、私は日本人の友人と三人で、記念撮影をしようとした。すると、大男の警察官が現れて、「ここは撮影禁止だ」と警告した。そんなのは90年以来、初めてのことだった。ソ連ソ連らしかった頃、この国は国中いたるところが撮影禁止だったり、訪問禁止だったりした。ソ連の秘密主義が去って、誰もがどこでも好きなところを訪問できるようになったし、撮影できるようになった。
 私の記憶にある限り、ルビャンカ広場の中央には巨大な岩が置いてあった。それは1930年代に、北海の孤島にスターリンが作った最初の強制収容所の礎石なのだった。旧KGB本部前に強制収容所の記念を残すことで、二度のこの国をかつてのような巨大な牢獄にすまいという、ロシア市民の誓いのしるしのはずだった。それが今回、跡形もなく撤去されていた。去年11月にも私はここを訪れたが、そのときはあったのだ。つまりこの一年で、ロシアは公に、これまでの歴史評価を180度変えて、強制収容所の歴史を肯定することにしたということになる。
 平和を求める民衆と、力を志向する権力機関――プーシキン広場とルビャンカ広場の二箇所を拠点に、ロシアでは対立する二つの力が対峙しているようだ。