ブラティスラヴァ

朝、※※が※※に電話を入れ、電話番号を書きとめた。
「※※」と書いている。
昨日聞いた名前はマガメッドだったが、
受け渡し担当は※※になったのか。
もうひとつ、※※からの注文が入った。
ズヴォレンにいる※※という男に、
※※の娘たちのパスポートが預けてある。
それを取りに行って、一緒にウィーンで※※に渡して欲しいというのだ。

※※と二人、ホテルプリュスをチェックアウトして、トラムに乗る。
途中市場で降りて、※※はスネジャナに別れを告げに行った。
ウクライナへ行く安い方法はないか、訊きに行ったのだが、
それは口実に決まっている。

アウトブソヴァ・スタニツァでズヴォレンゆきを見つけ、すぐに乗り込む。
※※とお別れだ。
実に楽しい道連れだった。

およそ3時間でズヴォレンに到着。
※※に電話すると、「※※までタクシーで来てくれ」とのこと。
※※は難民住宅のことで、要するに多国籍の難民が
大勢住んでいることからそういう名前になっているのだった。
タクシーの運転手はその名を知っていた。
タクシーを降りたところで、※※は待っていた。
家に案内され、夫人と二人の小さな娘たちに挨拶した。
夫人は夕食を振舞ってくれた。

※※から、※※の携帯に電話が入った。
私が代わると、「すぐにウィーンへ行ってくれ」とのこと。
さっそく、※※にバスターミナルまで案内してもらう。

ブラティスラヴァに戻ったのは22時前。
しかし、ウィーン行きの最終は20時だった。
鉄道駅に行ってみるが、やはり最終は終わっている。
始発は午前6時過ぎだ。
ここで待つことにした。
朝のための切符を買った。
どうしたことか、割引券があって、
わずか1ユーロでウィーンまでの切符が買えてしまった。
妙なところで運がいい。

携帯で※※に電話すると、彼はウィーンに住んでいるわけでは
ないことが分かった。
ウィーンからずっと先の、グミュントというところまで行かねばならない。

警察官と駅員が待合室から浮浪者を追い出した。
そして、空になった暖かい待合室に入れと、私を促す。
待合室はおそろしい悪臭で、思わずたじろいだ。
我慢して、しばらく寝ていたら、浮浪者たちが少しずつ戻ってきた。
耐えられず待合室を出て、寒いホームで始発を待った。