ウィーン(その2)

留置場は天井の高い、何もない部屋で、窓がひとつ。
天井には蛍光灯が二つ。
床には薄いマットレスが二つ、毛布が二つあるだけだった。
私はしばらく横になってみたが、眠れなかった。
ノートと鉛筆が欲しいと思った。
窓の縁に腰掛けて、外を眺めると夕日が沈んでいった。
車が列を作ってゲートの前で待っていた。
その向こうにはチェコ共和国の国旗が見えた。
ここは国境の検問所だったのだ。

留置場の壁には落書きがあった。
「グロズヌィ」「カフカスの民」と読めた。
ここで拘束されたチェチェン人が他にもいたのだ。

時計を奪われてしまったので時間が分からないが、数時間後、
私は留置所から出され、ロシア語の通訳をつけて尋問された。
私は英語の方がいいといったのに、
なぜかロシア語の尋問になってしまった。
おそらく、警察官が通訳なしで英語で尋問する自信がなかったのだろう。

私が嘘をついた点はおおまかに二点。
※※たちはロンドンにいる。
私は※※とトビリシで会った。
3ヶ月前にトビリシの※※と電話で話して以来、彼とは会っていない。

この嘘の大きな矛盾点が一点。
それは書類の中から、※※がウェスタンユニオン銀行を通して、
※※の妻※※に送金した書類が出てきたことだ。
※※が現金を受け取った場所はキエフ支店、書類の日付は11月27日になっていた。

続いて※※の尋問。
彼の本名は※※。
※※は※※と一週間前に電話で話したといった。
彼らはウクライナにいたと。

午後7時過ぎに私たちは釈放された。
私たちは徒歩で、そのまま駅へ向かった。
午後7時42分にウィーンへ戻る列車があった。
切符はマスターカードで、ブダペシュトまで通しで買った。
55ユーロ。
あっさりと別れて、私はウィーンへ向かった。

フランツ・ヨーゼフバーンホフからシュードバーンホフまで、
Dラインのトラムで列車の出発ぎりぎりに間に合った。
オーストリアの鉄道とは思えぬほどボロボロの古い車体は、
すぐに国境を越えハンガリーに入った。