「09/09 (火) シェイダさん」について(その2)

イスラム世界では、9世紀にモスレムがコーラン
解釈を考える学問(イジュティハード)が禁じられてしまいました。
これ以降、コーランの解釈は一人一人のモスレムの手から奪われ、
権威あるイスラム法学者が独占して行うことと定められました。
これを歴史的に「イジュティハードの門が閉ざされた」
といいます。

私たちは、これこそがモスレムにとって
堕落の没落の始まりではないかと考えています。
イスラムの本質は「タウヒード」といって、
唯一神アッラー以外のなにものをも信じず、
神でないものを誤って信じる錯誤を排してゆくことにあります。
モスレムが個々人の自由意志でアッラーを信じるのでなしに、
イスラム法学者のフィルターを通した解釈を信じるとすると、
それはアッラーそのものではなく、人間によって作られた
「似て非なるもの」を信じることになってしまいます。

「髪の毛を隠すべき」「姦通罪は石打による死刑」
「同性愛者は死刑」といった、コーランに記述がないにも拘らず、
イスラム世界で慣例的に続けられてきた「自称イスラム法」は
本当のイスラム法ではなく、アッラーに成り代わって職権を乱用した
愚かな人間たちが捏造したニセのイスラム法です。

しかし、例えばイランでイスラム法学者の権威を否定することは、
同性愛者の権利を訴えることよりもさらに過酷な迫害を
覚悟しなければならないでしょう。

そういう意味で、シェイダさんにとって、
私やハディージャさんの主張するイスラム思想は、
「夢のまた夢」といったものになってしまいます。