否定の共振(その2)

旧式のエンフィールド銃しか持っていないアフガン人は、
核軍事大国ソ連を自力で追い出し、祖国を解放した。
そのアフガニスタンの彼らが、
核兵器なんて、おれたちの信仰の前には屁でもない」
といってくれるならば、頼もしかっただろう。
だが、彼らの核兵器に対する見解は否定でも軽視でもなく、
核による通常戦力の無力化、核の威力に対する絶対的な信頼だった。
認めたかろうと、認めたくなかろうと、核を持つ国に暮らす国民や、
核の傘の下で安全を保証されている私たちと違って、
自力で核保有国と戦い抜いた非核国民の感想として、
あまりも説得力があると思った。
私は救いようのない気持ちになった。

核兵器は、現事情ではその使用が軍事戦略的に難しいため、
使用ではなくそのプレゼンスにこそ最大の意義がある。
その意義の根拠こそ、1945年8月6日と9日だった。
世界人類は、8月6日と9日があったからこそ、その日以降、
核兵器を持っている国家に対して効果的な抵抗ができなくなった。
イラククウェートに侵攻したら多国籍軍に攻撃され、
セルビアコソボを攻撃したらNATO空爆したが、
ロシアがチェチェンで殺戮を続けても、
米国がアフガニスタンに侵攻しても、インドがカシミールを弾圧しても、
中国がチベットを迫害しても、だれ一人、それを阻止できない。
ヒロシマナガサキ核兵器の非人間性と核戦争の惨禍を
訴え続けてきたが、伝えた事実が悲惨であればあるほど、
核兵器を廃絶しようという勢力にではなく、
核兵器の恐怖を利用しようという勢力にとって利用価値が高まる
という側面があった。
誰も、核保有国と対立することによって、
ヒロシマナガサキの憂き目を自分たちのことにしたくはないのだ。

この恐怖が、ひとつの絶対的なルールを作った。
保有国が非核国を隷属支配する、というルールだ。
たとえば日本は、米国の核の傘に入ると決めた瞬間から、
実は属国化の運命が決まっていたのだった。
誰もこのルールには逆らえない。
逆らうものは、たとえばグロズヌィはヒロシマそっくりな姿に
変えられてしまった。(その3へ)