否定の共振(その1)

今年もまた、例の日が近づいてきた。

朝日新聞も原爆企画の一環として私の話を取り上げてくれた。
書いてもらった記事に補足したい。

カフカスの森の中で、チェチェンイスラム聖戦士たちと
野営生活を続けていた頃、私は彼らの間で、一種のストレンジャーだった。
戦士たちの中にはチェチェン人だけでなく、アゼルバイジャン人もいたし、
トルコ人もいたし、アヴァール人も、ウクライナ人も、アラブ人もいたが、
日本人で、武器も持たずに来たのは私ただ一人だった。
私が彼らと同じモスレムでありながら、武器を持っていないことを
悪くいう戦士もいたと聞いた。

私たちは400人もの大所帯だったから、
私は全員と話をしたことがあるわけではない。
誰もが仲間に日本人が一人だけいることを知っていたが、
どんな人間かは知らないものもいた。
森の中で火をおこし、食事の支度などをしていると、しばしば、
これまで話したことのない戦士たちが私を訪ねてきた。
そして私の事情をいろいろと尋ねてくるのだった。

私が自己紹介の中で、自分が長崎の出身だということを語ると、
戦士たちは決まって、深く頷いていった。

「なるほど。それがお前がここへ来なければならなかったわけなのだな」

私が自分で何もいわなくとも彼らは、長崎出身でイスラム教徒である
私には、それだけでこの場所へ来なければならない理由があると
考えているのだった。

私は「シャミル」と呼ばれていたが、「シャミル」という名はチェチェン
にはありふれていて、どこのシャミルなのか分からないこともある。
それで、何人かは私を「シャミル・ナガサキ
あるいは単に「ナガサキ」と呼んだ。

 93年に初めて訪れたアフガニスタンでも、
私が若者たちと夜っぴいて話していたのは、原爆の話題だった。
医学生のハリールはいった。

アフガニスタンを侵略してきた国々、侵略しようと狙っている国々、
ソ連も、中国も、米国も、英国も、インドも、パキスタンも、イランも、
イスラエルも、すべて核兵器を持っている。
おれ達だけが持たず、持たないがゆえに侵略されるがままだった。
原爆さえあれば、こんな目に遭うことはなかったんだ」(その2へ)