キルクーク(その2)

 「盾」志願者の多くは、キルクークへ連行されることの意味がよく分かっていなかった節があるが、私はとりあえずそう判断した。しかし、それとは別に私はジャーナリストとしても個人としても是非キルクークを見てみたい。
 10年前にクルディスタンのアルビル(ハウレル=クルド語)まで来た時、バスターミナルからキルクーク行きのバスが次々に出ていた。市民によると、外国人の私でも乗ろうと思えば乗れるということだった。しかし、それは自殺行為だ。クルド人を追放してサダムが制圧したキルクークに、密入国者の私が訪れれば、たちまち拘束されて処刑されるだろうという。私にとってこのときキルクークは、目の前にありながら手の届かない場所だった。
 「全員を連行する」といい出したイラク当局に対して、私は「私が代表となってまずは一人で現地を視察したい」と申し出た。これは認められた。
 ところが、出発の時間になって突然、イラク当局は「キルクーク行きは中止になった」といってきた。理由は、と聞くと「遠いから」。「きみたちはひょっとするとおバカですか?それとも私たちをバカにしているの?」とはさすがに聞けなかった。代わって、バグダッド北部15キロの変電所が「人間の盾」の配置サイトに設定された。
 その翌日、イラク当局は日本人の「盾」志願者を、キルクークではなく、前述のバグダッド北部変電所に集団連行しようと動き出した。黒いベンツがホテルの玄関口に停まって、私たちを待っていた。私はその朝のうちに、自分の荷物のほとんどを、目をつけていた潜伏場所「マジャリス・バグダディヤ・ホテル」に移していたから、「移動の前にパレスチナホテルへ寄る」とイラク当局者に告げて、手荷物だけを持って「とんずら」した。それっきり、開戦後の混乱期まで雲隠れして、担当当局者の前に現れなかった。(その3へ)