トルコ航空機内にてのメモ(その1)

 チェチェンの取材に向かうときは、いつも「今度こそ帰れないかもしれない」と思う。恐ろしくて、恐ろしくて、何度も何度も神に祈って、それからゆく決意を固める。
 2000年に半年間、一緒に生活したイスラム戦士たちの元へ、2001年に再び戻ってきて、共に礼拝したときは涙がこぼれてとまらなかった。しかしこの年の作戦で、三ヶ月間の従軍の挙句、仲間のビスランが殺されたとき、何も感じなかった。
 チェチェンチェチェン側にいた「外部の目」は、世界中でハワジと私だけだった。ハワジが還り、私がゆかなければ、チェチェンは世界中から一切見られなくなる。世界中でたった一人しかジャーナリストがいないのならば、ロシアにとっては簡単だ。私一人を殺せば、彼らの犯罪を告発する声はゼロになる。
 私の前にチェチェンに入って活動していたビクトル・ポプコフ氏は殺害された。その前に入っていたアンドレイ・バビツキー氏は誘拐され、あわや一命を取り留めた。私の後で入ったロディ・スコット氏は殺害された。ロシアはジャーナリスト一人一人を確実に消してゆこうとしている。しかし、私のケースでは、彼らは殺すのに失敗した。だから次は、ロシアは私のディスクレジットを試みた。私のことをジャーナリストではなく、国際テロリストだと宣伝したのだ。ロシアではこの宣伝は効いたのだろうか?
 あいにく日本ではもう少し民度が高いので、こういうのはむしろ私の評判を上げてくれる。オロカものめ。うっしっし。
 チェチェンのケースと対照的に、イラクイラク側には何百人もの外国人記者や援助団体がいた。素直に当局の言いなりになって、プロパガンダに協力する記者も多かった。私が欠けたところでどうということはない。まったく気楽だ。私は自分の楽しみを求めていればいい。(その2へ)