トルコ航空機内にてのメモ(その2)

 チェチェンの従軍中は、私は信頼していたアリ・ハンに自分が死んだ場合のことを遺言していた。死んだその場に埋めてもらい、遺体を日本に送り返そうなどと考えないこと。そして死亡事実だけをできる限りの方法で日本に伝えてもらうこと。そうすれば、今は無理でも、少しだけ平和になってから、私が埋葬された場所としてチェチェンの山が日本の人たちの関心を集めるだろう。それは日本とチェチェンにとって、たぶんいいことだ。遺言なんてしたのは初めてだった。
 しかし、イラクへ行くのに私は遺言を残したりはしない。初めは実際、イラクの取材なんて面白くないのではないかと思っていたから、退屈なルーティンワークでもこなすような気持ちでしかなかった。行ってみて実際にはとても楽しかったから、今はイラクへ戻るのが楽しみだけれど、遺言なんて大げさすぎてバカバカしい。こんな簡単な仕事で失敗してたまるか。
 自分が恐怖を感じないでいて他人の恐怖を理解しようなんて、他の人にはともかく私には無理だ。イラク空爆は私には危険が少なかった。被害にあったイラクの市民の恐怖と痛みはいかほどのものであったろう。バグダッドの街の灯りを見ながら、手をかざして祈ったが、私にはどうしてもわからなかった。