栄光の20年(その1)

あれは今を遡ること13年前の1989年4月―――
私は(嗚呼、栄光の)早稲田大学文学部構内を歩いていた。
お目当ては(嗚呼、栄光の)早稲田大学体育会航空部格納庫であった。
入学したばかりの、ぴちぴちの私には夢があった。
航空部に入って、グライダーに乗り、地上を這う虫のような生活を捨て、
大空に生きる漢(おとこ)になる。
実は既にその前の週に私は1000円払って航空部の試乗会に参加して、
初めてグライダーに乗せてもらい、
感動の余韻冷めやらぬ体をこの数日持て余していたのだった。
後に聞くことになる話としては、あの東長崎機関総裁加藤健二郎氏も
航空部OBである。
それくらいの名門なのだ。

しかし、格納庫の先輩方から聞いた話は少々気が重かった。
グライダーは只ではない。一年間の活動費が30万円程掛かるというのだ。
今ならともかく、大学に入学したばかりで、
アルバイトの経験すらなかった当時青くぴちぴちの私にとって、
30万円は大金に思えた。
どうやってその金を稼ぎ出せばいいのか、いいバイトの口を見つけるには?
若さ故の悩みに心千々に乱されながら格納庫を出た私の耳に、
不意に黄色い声が響いてきた。

(嗚呼、栄光の)早稲田大学体育会航空部格納庫の真上には、
(嗚呼、栄光の)早稲田大学文学部学生ラウンジがあり、
そこには(嗚呼、栄光の)早稲田大学少女漫画研究会の活動拠点が存在していた。
声はそこから聞こえていた。
ラウンジには美少年と美少女を描いた少女漫画の立て看板が立て掛けてあり、
その脇のベンチに忘れもしないM先輩とEさんが歓談していた。
「少女漫画、お好きなんですかあ?」
「ええ、まあ」
実は手塚治虫先生に魂の忠誠を誓っていた私は、
リボンの騎士」以外の少女漫画を読んだことがなかった。
「今度新歓コンパなんですよ〜、よかったら来てください!」
といわれて指定された日時を聞いて、私の若さ故の迷いは極限に達した。
それは航空部の新人歓迎コンパの日と重なっていたのだ。
(続く)