督永忠子さん

パキスタン航空は2時間遅れでイスラマバードに到着しました。あとで聞いたら、今日はパイロットのストがあったそうで、飛んだだけでもよかった。でも、着陸ヘタクソでした。どっしん、といってました。
そして、イスラマバードに着くなり、日パ・ウェルフェア・アソシエーションの、というより、「民宿シルクロード」の督永忠子さんのところに押し掛けました。3年振りです。督永さん、ちっとも変わってません。夜9時頃押し掛けたのに、すばらしい日本食をご馳走してくださいました。お豆腐に白和え、鯖の糠漬け…アフガニスタンの食事だって十分おいしかったのに、なぜかやはりすごく嬉しいです。
今やイスラマバードは、いや、パキスタン全土は、アフガニスタンより危険な地域になってしまいました。そこに住み続ける督永さんは、パッと来てパッと帰るぼくなんかよりずっと大きなリスクを負っています。
夜10時半頃、督永さんちから、アッパラマーケットのホテルへ帰る途中、籠城戦で多数の死者を出したラールマスジット跡を通りました。督永さんちからこんなに近かったのかと驚きました。爆破されたマリオットホテルも督永さんちの近くで、爆風でガラスが割れるなどの被害を蒙っています。深夜でも日本人が歩いて宿へ帰れるとはいっても、本当にここは戦場なのだと感じました。