悪の国(その2)

もう一つ、厳正さを欠いてきたのは、神の作りしものと人の作りしものの区別だ。神が教科書として人に与えたのはクルアーンとこの宇宙しかない。クルアーンと宇宙の意味を解明することによってのみ、人は神の意志を知ることができる。一方、ハディースは人が作ったものだ。だとすると、私たちはクルアーンと宇宙の解明からシャリーアを建設すべきであって、ハディースからではないはず。実際のムスリムハディースを専らシャリーアの根拠として、宇宙の解明によって理解される科学的事実を蔑ろにする。そりゃ、クルアーンは難しい。簡単なハディースに頼りたくなる気持ちは人としてよく分かるけど。
ムハンマドの死後、四人のカリフの時代を「正統カリフ時代」というけれど、その四人のうち三人までが暗殺で人生を終えている。ムハンマドが直接教化し、啓蒙し、鍛え上げた最初期のイスラム共同体ですら、これほど乱れまくった世の中だったのだ。その中で作られたハディースをどこまで信用していいか、疑問だ。
ハサン中田先生に、第三カリフ・ウスマーンの最期についてメールで教えていただいた。彼は反乱軍に自宅を囲まれても、それを鎮圧することもなく無抵抗であっさり殺されてしまったそうだ。この件に限らず、正統カリフ時代というのは、カリフ側から民衆への弾圧が一切なかったそうだ。指導者の模範というのはこういうものなのかなあ、と思ったけれど、カリフが素晴らしければ素晴らしいほど、それでも非業の死を遂げなければならなかったというのは、人がことほどさように愚かで善悪を理解しなかったということだ。帝国の栄華と権力を巡ってか、権謀術数が張り巡らせ魑魅魍魎の跳梁跋扈する、そんな世界で書かれたハディースにどこまで真実が書かれているものか?だから、人の作りしものと、神の直接の創造物とは、やはりきっちりと区別する必要がある。
スンニーはクルアーン預言者のスンナからシャリーアを構築するが、スンナはハディースから採られる。ハディースを完全に除外してしまうと、おそらく現行のどんなイスラム共同体もシャリーアを構築しきれないだろう。しかし、やはり人間は神以外の自分を律するものに逃走してはいけない。宇宙の解明から律を導く方が何万倍も難しいが、それが神が人間に課した務めなんだろう。やはりぼくはスンニー派ではないなあ。シーア派でもないけど。やっぱりこのまま、超原理主義イスラム過激派無党派を名乗っていこうっと。