リトビネンコ一周忌

一年前の今日、リトビネンコが殺されました。彼が倒れたことは当時聞いていても、死んでしまうなんて夢にも思わなかったから、ぼくは頭が真っ白になりました。チェチェンの取材で知り合った人たちはほとんど殺されてしまったけど、彼は大丈夫だと思いこんでいました。自宅を放火されたり、脅迫を受けたりと、ロンドンでも彼への迫害が続いていたにも関わらずです。悲壮なチェチェンの戦士たちと違って、彼だけは生き生きとして見えたからかも知れません。

東京で今日、リトビネンコを偲ぶ集まりがあります。本当は一時帰国して、自分で参加したかった。

アレクサンドル・リトビネンコ追悼集会
―ロシアの闇とチェチェンの平和を考える―
http://chechennews.org/event/index.htm

以前アップしたリトビネンコのインタヴューほぼ全文をもう一度ご紹介します。
何度読んでも、彼はこのときすごい話をしていると思う。

リトビネンコ・インタヴュー
http://www.geocities.jp/shamilsh/litvinenko.htm

こういうタイミングで、映像作家の岡田一男さん(http://tokyocinema.net/)から、よくないニュースを戴きました。
山中で闘っていたチェチェン独立派組織が事実上、自己崩壊したというのです。2005年3月に第三代大統領のマスハドフが殉教/殉職してから、独立派は後継者を立てて闘争を継承してきましたが、第五代大統領となる現在のドッカ・ウマロフはかつて身代金目的誘拐をビジネスにしていたという男で、指導者の器どころか犯罪者でした。この人物が副大統領職の人物と共に、突然、「自分は『北カフカス首長国』のアミル(首長)である」と言い出して、大統領職を放棄してしまったのだそうです。
独立派は生き残りだけで議会を招集して、対応策を協議しましたが、正副大統領職は民主的な選挙が行われるまで空席とすると決めました。ロンドンに亡命中のザカエフ外務大臣は辞職し、議会に権力の掌握を求めています。
小さなグループは独自に武力抵抗を続けるでしょうが、独立派組織そのものは崩壊し、組織的抵抗はなくなったことになります。現在の世代での抵抗運動は終結したということかも知れません。次世代でまた始まるでしょうけど。また、同じような流血をはじめからやり直すのか…