そろそろ

武田徹さんが提唱するような「一人ジャーナリズム」が自分にやれたら
いいな、と思うけど、ぼくは主として雑誌に書いている。
書くべきこと、はさっぱり書けていない。雑誌が必要とすること、
を書いて、それも最近行き詰まって、立ち往生している。
現場に居続けたい、と思う。現場に居ると、雑誌やテレビの感覚とは
どんどん遊離してゆく。それは間違いなく、客観的にはいいことなのだ
けれど、ぼくがご飯を食べる手段たる経済活動にとっては、ほとんど致命的
でもある。
ジャーナリズムで日銭を得ようという試みに無理があるのだろうか?
稼がなければならないジャーナリズムは、どうしても稼げるジャーナリズム
に陥りがちだ。
ジャーナリズム以外のところで収入源を確保して、純粋な趣味として、
現場に留まるのが正しいのかな?そうすれば、雑誌の顔色を伺う必要は
なく、雑誌よりもずっと知的でスリリングなものが書けるだろう。

いろいろ考えなきゃいけない時期に来ている。ウェブサイトはずいぶん前
から更新が止まっている。あれもこれからどう運営するのか、はっきり
させなければ。
この日記も、もともとは「ギャルに振られた話と戦場で腰を抜かした話を」
ひとつの場に書くことによって、何か見えてこないかと始めたスペースだ。
それは、たとえば3年前のバグダッド空爆の時期などには、意味があった
かも知れないが、今はどうかな?
とにかく、もうそろそろ、なんとかする時期だ。
ぼくはもうずいぶん前から、自分が生ける屍のように感じていたのだ
けれど、なんと、まだ息があったことを、今頃知った。なんと、復活。