砂の上に3年

今月初め、私がクリフホテルからパレスチナへ向かった後、日本のジャーナリストたちがここへやってきて、私の行方を捜していた、とサーメルがいう。なぜ?サーメルによると、イラクへいったのではないかと案じていたそうだ。イラクなら昨秋いったが、私がイラクへ行くとなにか楽しいことでもあるのか知らん?私はタカトーさんでもふじゅんぺでもないのに。関心があるなら自分で行けばいいじゃないか。

たぶん、ホテルを出る直前に東京新聞のギャルギャルNちゃん記者から国際電話でサーメルと二人取材を受けて、それが夕刊に掲載されたからかな?その記事自体は未だ読む機会を得ていないのだが。

今日はイラク戦争開戦3周年だが、私には特に関心はない。去年、どこかで開戦2周年にあたっての感想を求められて、「2年前からじゃなく、もう20年ほどイラクはずっと同じようなものなのに、そんな日付に意味があるとは思えない」と答えた。今年も同じ。大半の他の連中は3年前からイラクをウォッチしたり通ったりしているのだろうが、私は93年から通っている。
ネットを見たら、アラウィが「イラクは内戦中」といったとか。なにをいまさら。そもそも、侵略・占領された国が自力で国土を解放する過程では、ほぼ間違いなく内戦を経る。人間は賢くないので、最短ルートを通って未来へ向かうことはできない。ナチスに侵略されたユーゴスラビアもそうだったし、中国も、アフガニスタンもそうだった。それに、内戦になったことそのものでなく、イラクが分裂してしまうことを心配している方面も多いようだ。イラクが分裂するのは、それはそれ自体すばらしいことだろう。イラクを作ったのは英国で、それはイラクのためではなく、英国の資源調達上の都合のためだった。国境線にも他の国との区引きにも、なんら意味はない。それに周囲や独裁者がこだわることで、クルド民族はずっと苦しんできたし、シーア派も弾圧されてきた。イラク解放とはおそらく、侵略者を撃退することだけではなく、3つの新しい国に生まれ変わることだ。