来るんじゃなかった?

ヴラドと別れて、アンマンに出てきた。
タカトーさんとも、あいーさたんとも、すれ違いになって逢い損ねた。
パレスチナの取材できたのに、いろいろ見れば見るほど、他の現場との
落差ばかりが際立って見える。つまり、他の紛争地と違って、ここに
あるのはほとんどが政治の問題であって、多くの部分は人間の問題と
直接かかわりがない。
たとえば、イスラエル軍がエリコに侵攻したのは選挙で票を稼ぐという、
「民主主義の実現」のためで、そのためにはPFLP議長の身柄強奪という
政治的パフォーマンスが必要だった。
まったく無関係な3人をその場で家畜みたいに殺し、まったく無関係な
子どもら30数人にダムダム弾を見舞って、何人かを不具にしたが、それは
イスラエル与党カディマにとってはどうでもよかった。
ここで「人間の問題」はあくまで、どうでもいい問題なのだ。それは
イスラエル側にとってだけではなく、パレスチナ側にとっても、
パレスチナの勝利を望んでやまない進歩的欧米・日本メディアや
「人権団体」にとってもそうだ。
彼らにとって、子どもが兵士に射殺される事件は最高のご馳走であり、
最強の武器なのだ。命そのものが重要なのではなく、「命の大切さ」を
利用して得られる利益が重要なのだ。
それが証拠に、純粋に人の命だけが問題となることを、彼らは問題とした
ためしがない。

ぼくの友達と呼べる人間は、もう大半が死んでしまったか、生きて再び
会えないところにいってしまったが、彼らはそんな利用価値のある死では
なく、犬みたいに、まるでこの間のエリコ事件の3人みたいに、どうでもよく
死んでいった。
夕べホテルのインターネットで検索を掛けていると、死んでいった友人の
動画や写真がネット上にあとからあとから見つかった。
思わず、夜通しお宝画像収集に耽り、2ギガバイトのSDカードが「死人画像」
でいっぱいになってしまった。
パレスチナの取材に来てこういうことをしているのだ。来るべきでは
なかったかな?