往来のIT

デリーを最後に訪れたのは98年10月だったか。
この6年間ほどは、メディアの情報でしかインドを知らなかった。
そして、メディアで伝えられる内容は、インドのIT技術の発展振りが
印象に残っていたので、きっと私が見なかった6年の間に、
インドはハイテク分野で恐ろしい発展を遂げているものと
思い込んでいた。
たぶん、この国のどこかではすばらしい技術が花開いているのだろう。
しかし、デリー中心部のこの貧しい地域には何一つなかった。
ネットカフェはたくさんあるが、おいてあるコンピューターはWindows98
だったり、ときには95だったり。
接続はダイヤルアップを複数台のPCで分け合っていたり。
持ち込んだ携帯電話をGPRS通信網に繋げたくて、携帯電話の代理店に
尋ねたり、携帯会社のカスタマーサービスに電話で問い合わせたりしたが、
誰一人、自分の仕事の専門分野にかかわる基礎的な事実を説明できない。

インドのカースト制はヒンドゥー教の教義と深く結びついたものだから、
外部の我々のようなものが差別だなんだと批判したところで、
どうしようもないところがある。
しかし、たとえ身分制度が固定されたものであっても、
技術の進歩と普及はこれとは無関係に、集中する資本を拡散させる効果を
生むはずだから、たとえ奴隷や不可触賎民の出身者であっても、
ビルゲイツや日本の六本木ヒルズ紳士のように、
斬新なアイディアや技術次第で、数千年、数百代続いたスラムの物乞いが
億万長者になることもできる。
それが進めば、この国の身分制度を形骸化させ、事実上無効化することが
可能になる。
インド人が数字に強いということは、紀元前から知られている。
不可触賎民の中に埋もれている天才が発掘され、
表の世界に出るようになれば、インド内にとどまらず、
世界の南北問題を変えるきっかけにすらできる。

6年ぶりのインドはきっと、そんな風に質的な変化を起こしているはず
だと、私は勝手に思い込んでいた。
しかし、実際にはおそらく、自分のパソコンを持ったり、
技術を身に付けてITオタクとなるには、この人たちはまだまだ
貧しすぎるのだろう。
メディアが伝える内容では、この国にも中流階層が育っており、
イカーを持つ人たちも増えているという。
確かに、TATA社の大衆車がいっぱい走っているのに驚いた。
してみると、今回は6年前と違いが見えてこず、インドは相変わらず
希望のみえない国だが、さらに5〜6年もすれば、少しは違って
くるのだろうか?