お洗濯

最近毎日いろんな方面に呪いの念波を送り続けてすっかり心が
黒くなったので、モスクへ金曜礼拝に出かけた。
日本人は私の他にムスリム協会の樋口理事長しかみえなかった。
イスタンブルは世界で一番信仰心に欠けたムスリムの集う場所だろうが、
それでもモスクの中には地元の人たちであふれ、一種厳かな雰囲気に
包まれている。
一方、東京ジャーミィは同じトルコ政府の協力で建てられた
日本最大のモスクだそうだが、集うは外国人ばかりで、
日本人にイスラムはこれほど馴染みがない。

トビリシグルジアのヤブ蚊氏に「民族という名の宗教」(なだいなだ著)を
お借りし、すでに何度か読んだ。
普段自分が考えていることとなだ氏の考えが正反対というほどあまりに
かけ離れているので興味深かった。
私は、現在というのは「個人が再び強くなれる時代」なんじゃないか
と思っていたが、なだ氏は「人間は集団を武器とする動物」とし、
「今一度、社会主義を見直すべきだ」と主張する。
個人に比べて組織は大鉈が振り回せるけれど、はしっこく小回りに
動き回ることが難しい。
もしも、組織が自由自在に行動しようとすれば、それは個人によって
コマンドされざるを得なくなり、すなわち個人独裁に陥ってしまう。
情報が国家や巨大組織のものではなく、個人レベルで集められるようになった
現在、もはや大鉈を振るう意味は小さく、個人の自由さや機動性こそが
むしろ大きな仕事をするには適当だという場面が生まれている、
と私は考えている。
まあ、なだ氏がこの本を書いたのは92年頃で、今とは環境が違うから、
今現在のなだ氏の考えも聞いてみないことには、公平ではない。