ぼうずの罠(その2)

 男はミーたちを車に乗せて、雨の中どこかへ連れて行ったざんす。2キロも走ったところの空き地にキャンプ用のテントがいくつか建っていて、チェチェンの国旗がはためいていたざんす。10人あまりの人相の悪いチェチェン人が出て来たざんす。彼らは3月21日にパリを出て、650キロを徒歩で行進してきたところだったざんす。チェチェンで戦争が続いていることを欧州人にアピールする目的の「平和行進」だったざんす。でも、歩いている連中は全員、いかついヒゲ面だし、山中のゲリラとおんなじ野営生活だし、「平和行進」というより、作戦行動中にしか見えなかったざんす。26日にストラスブールに到着して、27日には世界中からチェチェン人が集結して、欧州議会前でデモをやる予定ざんす。デモというより、やくざの出入りじゃないざんすか?さぞかし恐ろしい絵になるざんす!シェー!
 上人はチェチェンの大男たちに混じって、団扇太鼓を叩きながら、南無妙法蓮華経と唱えて行進を始めたざんす。チェチェン・ジャマアト(グループ)のアミル(リーダー)はサイドアミン・イブラギモフ初代チェチェン通信大臣だったざんす。
 チェチェン人と一緒に、路上でジジク・ガルナシを食べたざんす。デリシャスだったざんす!朝からなんにも食べてなかったざんす。
 チェチェン人の車で鉄道駅に戻ってみたら、日帰りできる列車はとっくに出発したあとだったざんす。あとは夜行列車しかなかったざんす。違うざんす!寝台列車じゃないざんす!90度の硬い座席の列車を4回乗り換えて、朝方到着する列車ざんす。ベルンで接続がなくなって、吹きさらしのホームで上人と震えながら眠ったざんす。というか、眠れなかったざんす。ジュネーブまで7時間かかったざんす。
 ジュネーブのことをおフランスといったざんすけど、今度こそミーは本物のおフランス帰りざんす!