毒(その1)

 ジュネーブなどというところに来てしまって、むくつけきゲリラもいない、冷酷な独裁者も、残酷な占領軍もいない国連などという場所で、私はいったいなにをしようと、途方に暮れていたのだが、到着二日目、とっても気に入った。
 なにがいいといって、ここではバカ面を見ないで済むのがいい。
 国連人権委員会国連難民高等弁務官事務所を目当てに来ている各国の人たちは、コンゴコートジボワールタジキスタンウズベキスタン、ブラジル、ブルガリアその他もろもろだが、誰一人「イラクにもっと目を向けるべきだ」とか、「自衛隊が行ってるからイラクは重要だ」とか、頭蓋骨に藁屑が詰まっているとしか思えないようなことをいわない。彼らの多くは、もっぱら自分たちの国の問題の解決を目指してきている。チェチェンの問題の為に来ている日本人なんてのはレアケースだ。だからここで、「イラクにもっと目を向けよう」なんていうと、すぐにバカだとばれてしまうという寸法だ。
 ここに一貫してあるのは、すべて人命は平等だという、正常な脳みそを持っている人には当たり前の思想だ。国連や国際機関で使うべき語彙は「人権 Rights」であって、「尊厳 Dignity」ではない。人権は万人に平等であるべき公の概念であるが、尊厳の方は個人に属し、あるケースのある個人にとっては死ぬことがそれを守ることとすらなる。そして、公の「人権」でいうところの概念では、人権侵害の過酷さは失われた人命という単純な数字でこそ表現しうる。330万人以上が殺害されたコンゴや、それぞれ数十万人ずつが殺害された西アフリカ諸国の紛争に関して、問題に携わっている人員数が少なすぎて、解決を遠のかせているが、イラクパレスチナの問題については、携わっている人員数が多すぎて、解決を遠のかせている、とみなが分かっている。(その2へ)